2009年1月25日日曜日

【猫哲学1】 猫睡眠。

 
       猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ ┃    


 我が輩は猫と暮らしている。名前は、まだつけていない。ちなみに私の名は「夏目」ではない。

 猫の仕事は寝ることである。だから寝子という。とにかくよく寝る。一日中、いつも寝ている。このあいだ壁を引っかいて傷をつけたので、こらおまえ、そんなことはこの爪研ぎ板でやるもんだと前に座らせて説教したら、説教を聞きながら居眠りしやがった。

 猫はほんとうによく寝る。寝るには体力がいるからそのために起きてメシを食う、そんな風にさえみえる。ということはこいつ、寝ることに真剣勝負なのか。

 あれれ、そう考えるとわからなくなってきたぞ。

 私の場合は、現実が大事、寝るのはその維持のためと、これまで思うともなく思ってきたが、ひょっとするとこの猫、寝るのが大事、現実はその維持のための方便とみなしているのかな。なるほど、それもありかなとも思うのだ。

 目覚めている私が真の私か、寝ているときにみた夢の私が真の私か。中国の古人はその不分明を『胡蝶の夢』という有名な寓話にした。美しい詩である。

 私はそこまで詩的ではないから、惰眠の快楽と現実とを比較してしまうのだが。

 私はながいことサラリーマンをやってきて、仕事にはもう飽きた。社内競争や出世なんて冗談じゃない、願い下げ。居心地の悪い会社ではないが、出社するのがおっくうなのだ。

 幸いわが社はフレックスタイム制をとっている。まわりに迷惑をかけなければいつでも好きな時に出社していい。そこで、ついついむさぼる朝の惰眠の心地よいことったらない。最近は、ああ、人生はこの快適な惰眠のためにあったのだな、などと悟り済まし、眠りをむさぼり尽くすことなる。

 あのひとときだけが生きているのだ。会社に行って働いてる私はあの睡眠を維持するための仮の姿なのだ。しかし会社なんてめんどくさいなあ。

 ああ、なんとかあの快楽を永遠のものにできないものか。

 そんなことを考える私は、この猫の人生観、いや猫生観にあてられてしまっているのだろうか。

 昔はそうではなかった。いい仕事をしたい、認められたい、責任を果たしたいなどという、いっちょまえの自負心はあったのだ。ところが、きれいさっぱりそんなもの、消えてしまった。

 そしてひたすら寝たいのだ。朝の陽だまりのなかで、顎を胸にくいこませるように丸くなって、いつまでもいつまでも寝ていたいのだ。私は本性が猫化してしまったらしい。

 猫など、飼うものではない。

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 ある女性にこの話をしたら、彼女はいかにもあほらしそうな顔をしていった。

「あなた、疲れてるのよ」

 女は身も蓋もない。猫のほうが無口なだけ味がある。

[上の文章は、約4年前に書いたものです。]
[original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com/
[mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]

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