2009年1月26日月曜日
【猫哲学40】 猫ンプレックス。
猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ┃
さいきん、私の猫化が激しい。
すぐにものを忘れる。人の名前を思い出せない。仕事がじゃまくさいし、いつも眠い。
「それはね、老化というのよ。あなたの場合は、アルコールぼけというのもあるしね」
と例の超美女はいうが、違うぞ、くそっ! 猫化という現象は、たしかに存在するのだ。これは科学的事実なのだぞ、女には科学はわからんかもしれんがな。(女性読者の方、失礼。この場合は、あの美女のことを指しているだけだとお考えください)。
なので、猫化というのは客観的事実であるという、動かぬ証拠をお読みいただこうではないか。
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■ネコを飼うと性格が変わる!? 寄生虫トキソプラズマが人間の精神面に影響!【JAPAN JOURNALS記事】http://www.japan-journals.co.uk/dailynews/030922/news030922_1.html
ネコの体内に寄生することで知られる病原虫が、人間に感染後、その人の性格を変えてしまう可能性のあることが、調査の結果明らかになった。
ネコの病気として知られている「トキソプラズマ症」の原虫は、人間にも感染し、特に妊婦に感染した場合、胎児に深刻な障害が出る危険性はよく知られている。英国、アメリカ、チェコの科学者らが協力して、394人の男女を対象に、トキソプラズマの感染率と個人の性格との間の相関関係を調べたところ、これに感染した女性は社交的になり、自分の容貌により気を遣い、愛情豊かで性的魅力が増し、それにともない男性関係も活発になるが、反面、信頼するに足りなくなる傾向が強まるという。一方、男性の場合は規則に従うのを嫌い、反社会的行動に走りやすくなるとともに、嫉妬深く、女性から見てあまり魅力的ではなくなるということが分かった。
トキソプラズマはネズミを介して、ネコだけでなくあらゆる哺乳動物に感染するが、繁殖するのはネコの腸内においてのみとされている。しかし、性格にまで影響を与える可能性について触れたのは、今回の調査が初めてという。
英国では、900万匹のネコがペットとして飼われており、知らずにトキソプラズマに感染しているとみられる人は全体の22%。ドイツやフランスでは全体の80~90%と感染率も高く、またこのように感染している人は反応速度が遅くなるために、自動車事故を起こす確率は健康な人の2.7倍とされている。
このトキソプラズマに感染した場合、これを完全に取り除くことはできないといわれているため、ネコに触ったらすぐ手を洗う、ネコのトイレは毎日清潔に保つよう心がけるといった予防策を実施することが肝心とアドバイスしている。
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知らなかったでしょー。トキソプラズマかあ。
規則を嫌うとか、反応がにぶくなるとか、まるっきり私の症状そのものではないか。女性にモテなかったのはバカ猫を飼い始める前からだから、そのことまで猫のせいにするほど私は身勝手なやつではないが。
それにしても、英国全体で900万匹ねえ。日本の猫の数は統計がないのでよくわからないが、一説には800万匹ともいわれる。(ホントはもっと多いだろうと、直感的には思うのだが)。英国の人口が約5900万人ほどだから、日本の半分もない人口で日本以上の数の猫を飼っていることになる。英国というのは、実に意外なことに猫大好き国家だったのだ。
なぜ意外かというと、ヨーロッパ人というのは基本的に猫が嫌いなのだと思い込んでいたからである。西洋の美術、文学などに猫が登場するのは少ない。たまに登場してもバケ猫だったり不吉なことの象徴だったりするので、猫が愛されているとはあまり思えなかったのだ。
エドガー・アラン・ポーの名作『黒猫』は有名だけど、怖いよねー。フランスの女性作家コレットの小説で『雌猫』なんてのもあるが、あの作品では主人公が妻に抱く嫌悪の象徴として、猫が描かれている。
私が愛読するホフマン著『雄猫ムルの人生観』の主人公ムルは、めちゃくちゃに生意気なやつだし。
ちなみに映画ではどうなのかと思って調べてみたら、犬が主人公の映画はなんぼでもあるのに、猫が主人公となるとぜんぜん無い。まあ、猫に演技をさせようとしたってムリだもんな。映画になるわけないか。
ムツゴロウ先生監督作品の『子猫物語』という映画があったが、あんなものは無視するぞ。あの映画を撮るために何匹もの子猫チャトランが用意され、川に放り込む、滝から落とす、いじめて全力疾走させるなどといった蛮行が繰り返されて、10匹を下らないチャトランが殺されたというではないか。映画のラストで何匹もの子猫が木の枝に鈴なりになっているシーンがあるが、あれは接着剤で猫をくっつけたのだそうだ。ああ、腹が立つ。
くだらない余談を書いてしまった。余談ついでに、日本映画ではモノクロ時代に猫をテーマにしたシリーズ映画が何10本となく制作されているが、どんなのかご存知? 正解は『怪談・化け猫シリーズ』です。どろどろどろ、ふぎゃおっ!
よく考えてみると日本だって、江戸時代までは、猫をそう特別に愛しいものと考えてはこなかったようだ。どちらかというと妖怪のたぐいに近いところに位置づけられていたんじゃないか。仏教界は猫を無視しているしな。猫が無条件に可愛いものとみなされるようになったのは、近代以降のことなのかもしれない。
そのことも、ちょっと想像力を働かせてみると、よくわかるような気がする。なぜなら猫というのは、夜の側の生き物だからだ。
我々は現代社会に慣れてしまっているので、夜はあんなに明るいもんだと思っているが、昔は本当に暗かったはずだ。真っ暗闇だよ。想像できる? 本当のまっ暗闇とはね、私は尾瀬の山小屋で経験しているが、目の前に漆黒の壁があって手をのばすと触れそうな感じだ。それほど、見通しがきかない。闇に物理的な圧迫感がある。当然、すごく不安になる。
ところが猫というやつは、その暗闇のなかを平気で出歩く。目が光ったりなんかするし。しかも虹彩が縦に割れているんだもんな。かなり不気味な動物と思われても、仕方がないところもある。そんな理由からだろうか、西洋の文化史上では、猫はどちらかというとあまり愛されない動物として描かれているのが大半なのだ。
古代エジプトでは、猫のそんな性格を神秘的、闇を見通す者、夜を支配する賢者とみなし、神としてあがめた。シャム(現在のタイ)国でも同様に、神の使いとして大切に扱った。エジプトとシャムの共通点といえば、ナイルとメコンという大河に育まれた大規模農業地帯であり、気候も暖かく、人の心に余裕があったんだろうなと思う。
ところがヨーロッパでは、猫というとまるで魔女の付属物である。怖がられ、嫌われているような描かれ方になる。ヨーロッパの、とくにアルプス以北は自然環境も厳しいし、夜ともなれば本当に恐ろしい世界だっただろう。猫はそんな闇とお友だちなんだから、ちょっとこいつ、やな感じだぜと思いたくなるなるのもわからなくもない。でも、そんなんだったら飼わなきゃいいのにと思うが、中世以降になると歴史の中に猫が登場してくる。
もう少し歴史を遡っていこう。まずローマ時代。地中海地方では猫がよく飼われるようになった。おそらく、エジプトから伝わったものだろうとされている。エジプトは猫を神格化して国外への持ち出しを厳禁していたから、そんなにたくさん流通はしなかっただろうと思うのだが、ご禁制のものが密輸の対象となるのは世の常。ローマでもやがて貴族階級の愛玩動物となった。
現代イタリアの都市でも田舎でも、あちこちに猫がいる。屋根で昼寝をしているやつもよく見かける。ローマの古代遺跡を観光していたら、たいてい猫に出くわすものだ。飼い猫なのか、野良猫なのか、まあ、その中間だろう。とくに港町なんかでは街のあちこちに猫の餌になるゴミがあるから、やつらはあまり人の世話にならずに生きていけるようだ。そういうゴミがあるということは、一面では都市が豊かであることを示してもいる。つまり、猫のいる街は豊かな街なのだ。ローマ帝国というのは、そういう意味からも豊かな帝国だったということがわかる。
これは想像だが、ローマの貴族階級が飼っていた猫がいつしか増えて街に定着したのではないだろうか。人々は、猫がネズミを退治してくれることを知っていたし、それほどひどい悪さをするわけでもないし、よく見るとかわいいところもあるので、猫の定着を受け入れたんじゃないかと思うのだ。これが地中海世界での話。
もっと北、フランスやドイツなんかでは事情が違っていた。まず寒いし、街は猫のゴミ箱あさりができるほど豊かでもない。中世以前のヨーロッパ(ローマ世界とプロバンスを除く)というのは、とても厳しい気候の世界だったはずだ。にもかかわらず、猫はやがてこの地にも定着していくことになった。不思議だね。
これもまた想像だが、私はカトリーヌ・ド・メディチがあやしいと考えている。彼女がイタリアからフランス王アンリ2世に嫁ぐときに、100人の料理人を一緒に連れていったという話は有名だ。そのときに初めて、フランス料理という一大文化大系が誕生した。ローマ帝国から地中海世界へと継承されてきた贅沢文化がフランスのド田舎宮廷にもたらされたのは、この女性の嫁入りというイベントを契機としているのだ。フランスだけではあるまい。北ヨーロッパ全体が、彼女のゴージャスに震撼させられたに違いない。そのときに、カトリーヌが猫も一緒に連れていったというのは、大いにあり得る話である。
ただ、この蛮族の地がローマ帝国並に爛熟していくのには時間がかかった。そこにいた猫たちは、やはり寒く荒涼とした環境で、生きていくのは大変だっただろう。
猫たちは、きっと苦労していたのだろう。気性だって荒れていたに違いない。だから、あまり可愛くない動物という印象ばかり持たれて、それでヨーロッパの文化史のなかでは良い地位にいないのだと思う。うちのバカ猫みたいに何の苦労もないとしたら、もっとのほほんとした表情になって、もう少し愛される存在になれただろうにね。
人間もまた、猫に冷たかった。ヨーロッパというのはペストで人口の4分の1が死滅するという悲惨を体験していて、ペストの媒介となるネズミを退治してくれる猫は、もっと親切に扱われてもいいはずなんだけど、カトリック教会がまた猫をいじめたんだよな~。中世の魔女狩りでは、猫狩りも同時進行していたんだよ。
有名な話だが、聖書には猫の記述がいっさい出てこないという。ま、私自身が聖書ぜんぶに目を通したわけではないので、絶対の自信はないけど、たぶん事実なんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら、あれやこれやいろいろと歴史を調べていくうちに、なぜ西洋人が猫に冷たいのか、私はその真の理由をつきとめてしまった。そのことを以下に書いていこう。
中世のヨーロッパというのは、ネズミの敵である猫を、やはり大切に扱っていたらしい。猫を殺した者には重罰がかけられたという。とはいってもその時代、穀物を蓄えてネズミに悩まされるなんてのは領主や代官の特権みたいなもんだから、貧しい庶民にしてみれば、偉い人がバックについているうっとーしい動物ということになる。愛らしいなんていってられないよな。
それだけでなく、猫は神秘的な生き物として、恐れられてもいたらしい。超能力を持っているんじゃないかと思われていたのだ。目が光るものな、それも不思議ではない。もともとエジプトでは神格化されていたのだから、その影響がヨーロッパにまで及んでいたのかもしれない。
だが、その恐れという感情が、ねじまがった方向に発揮されてしまうと、ありゃま、ひどいんじゃないの、みたいなことをやっちまうのが人間という連中である。
何のことかというと、中世ヨーロッパでは、猫は生贄の動物にされたのだ。もちろん、その神秘性のゆえになんだけど。たとえば豊作を祈るために子猫を何匹も土に埋めるとか、強固な城を築くために石垣に猫を塗り込めるとか。なるほど、カエルとかタヌキとかを埋めるよりはよほど効果がありそうだけど。
そんなことをしたもんだから、猫というのはヨーロッパ人にとって恐怖と後ろめたい感情が入り混じったコンプレックスのシンボルとなってしまったわけだ。これほどひどい仕打ちをすれば、そりゃあ複雑な感情にもなるわな。だからといって嫌わなくてもいいじゃないかと思うが、いやいや、そうなってしまうのが人間の性(さが)というものでね。フロイトのコンプレックス理論を応用すれば、「それが当然だろ」ってことになるな。人間の心ってやつは、罪悪感を引きずるよりも、いっそ憎んでしまうほうが楽なのだ。
まとめに入ろう。ヨーロッパ人というのは、猫にたいする畏れと罪悪感がねじまがったコンプレックスを持っていて、素直に猫を愛せないのである。猫のほうだって、自分を愛さない人間を相手に、愛想をふりまくわけなどないから、人間からみるとお高くとまったイヤみなやつって感じの態度になってしまう。不幸な相互関係なのだ。
猫は、自分を愛さないとわかってる相手を、愛さないものなのだ。これは女性もいっしょだけど。(一度もモテたことのない男のセリフではないな、わはは)。今回は、哲学はこの三行だけだな。
ヨーロッパにおける猫のこんな不幸な歴史は、現代ではかなり解消されているようにもみえる。冒頭の、英国で飼われている猫の頭数を考えると、そんな気になってくる。しかし、本当に完全に猫と西洋人のわだかまりが消える日は来るのだろうか。私は、キリスト教があるかぎり、それは無理なのではないかと思っている。
今回は猫哲学40回を記念して、猫特集でございました。ではまた。
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いつもの超美女とそんな話をしていたら、彼女はからかうような光を目にためて、こういった。
「そうかな。ヨーロッパの人たちは、猫を愛してたんじゃないかな」
「ほおー、じゃ、なんで冷たいんだよ」
「愛しているから、憎むのよ。それがコンプレックスでしょ」
…また負けたのかな。あれ?
[上の文章は、約4年前に書いたものです。]
[original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com]
[mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]
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