2009年1月25日日曜日
【まえがき】
猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ ┃
猫というのは困った動物である。
なにが困るかといって、私は知らないうちに猫のいうことがわかるように改造されてしまったのだ。ヤツがべつに声に出してなにかいうわけではないが、ちょっとした仕草、表情、雰囲気だけで、「おらおら、メシだ、はやくしろ」「そこはオレの昼寝場所だぞ、どけよ」「ストーブをつけろよ、寒いんだよ」「あんたの膝で寝ることにしたからさっさと座れ」等々、ヤツがなにを要求しているのかが、あっという間にわかってしまうのだ。
そのようなこと、わかりたいと思ったこともないし、ましてや努力など絶対にしたこともない。なのに、わかってまうのだ。これはいったいどうしたことか。しかも、この猫を友人に押しつけられてしかたなく飼うようになってたった一週間目に、それは起きていたのだ。
私は、この猫が私になにかしたに違いないと思っている。私が寝ている間に、脳の基本プログラムを書きかえるとかなんとか。そうでなければ、中学校以来30年かかっても英語を覚えられない私が、およそ学ぶ気もない猫語を一瞬でマスターできたりするはずがないのだ。
いわば私のOS(基本プログラム)は、古いマッキントッシュ7.0(いまだにそんなもん使うか! ああ、愛しのクアドラ)から、知らないうちに猫ニャッキントッシュ7.5かなにかにバージョン変更されてしまったものだと思われる。どういえばいいのかな。勝手にそんなことをしてほしくないのだがな。
その影響からに違いない、私の日常のこまかい部分がなんだかちょっと変化しはじめている。例をあげると、ぐーたらになった。寝るのが好きになった、ややこしいことは単純に考えるようになった、時間を気にしなくなった、等々である。
(つまり、人間的には破綻しはじめているといってもよい。)
これから書くのは、そのように猫化してしまった私が、朝寝昼寝のあいまにつらつら考えたさまざまな哲学的テーマである。猫化したからこそ希にみる鋭い分析が可能になったのか、あるいはただのアホになっただけなのか。それは私にはわからない。なので、どうか小猫の体重ほどの軽い気持ちでお読みいただきたい。
[上の文章は、約4年前に書いたものです。]
[original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com/]
[mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]
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