2009年1月28日水曜日
【猫哲学96】 猫ショートショート。
猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ┃
(2006/04/14)
とても有名なベリーショート小説がある。SFにもホラーにも分類されているが、これをまずご紹介しよう。
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地球上で最後に生き残った男が、部屋に座っていた。
するとノックの音が…
終わり。
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これは、人間でない誰かがノックしたという話なので、その誰かとはお化けか宇宙人と考えられる。というわけで、とてもよくできたショートSF、またはホラーということにされている。
ところが猫哲学者というやつは、こういうお話を読むと、頭の中でどんどんバリエーションが増幅して、しまいに収拾がつかなくなるという変な性格を持っている。岩根先生も同じらしいけど。
では、どんなバリエーションが出てくるのか、まずはわかりやすい例からご紹介しよう。
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地球上で最後に生き残った男が、部屋に座っていた。
するとノックの音が…
にゃお。
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なんだバカ猫おまえかよ。という話になって、緊張感が一気にぶっ飛んでしまうのである。
こんなのもあるよ、次のバリエーション。
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地球上で最後に生き残った男が、部屋に座っていた。
するとノックの音が…
横山ノックさん。もうセクハラもできまへんなあ。
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あんまりなストーリーである。イメージしたくない光景だし。
では、次のバリエーション。
一人の男だけが生き残ったといっても、女もいなくなったとは書いていないじゃん。で、女も一人生き残っていたとむりやり仮定する。その女が、たまたま彼の恋人だったというのはご都合主義に過ぎるが、小説なんてだいたいそんなもんである。
ということにして、この小説を書き換える。
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地球上で最後に生き残った男が、部屋に座っていた。
するとノックの音が…
「あなた、会いたかったわ」
「まさか君にもう一度会えるなんて」
熱い包容、キスシーン。音楽もガンガンに盛り上げて感動のクライマックス。
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と、こうくれば、古き良き時代のハリウッド映画である。しかし、今のハリウッドでこういうベタなことをやると笑われるだけだから、話は別の展開になる。
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地球上で最後に生き残った男が、部屋に座っていた。
するとノックの音が…
「あなた、早く開けて。ゾンビに追われてるの!」
ドアを開けようとする彼。しかしドアノブが壊れている。焦る彼の姿を思いっきり引っ張るむやみな編集。絹を裂くような彼女の悲鳴。やかましい女である。
いっそドアをたたき壊そうとして斧を捜す。だが、斧を入れた道具箱も鍵がかっている。必至で鍵を捜す彼。そうだ机の引き出しに鍵があったはずだ。ところが机の引き出しにも鍵がかかっていて…。
彼の焦る顔アップ。ハリソン・フォードしかないだろう、この役は。
おい、そろそろもういいかげんにして次のシーンへ行けよなー。
と突っ込みを入れる頃になってようやくドアが開く。彼女が飛び込んでくる。よかった、無事だった。ドアを閉めるときにゾンビの手を挟んで、またひとしきり格闘するしつこい演出で、またもやあざとい時間かせぎ。
いろいろあって、やっと彼と彼女は抱き合う。感動のラブシーン。エンディングは彼女の顔のアップ。彼と抱き合いながら、彼女の目が赤く光る。キャーッ!!
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今どきの米国映画はこんな感じである。
では中国映画だとどうなるのだろうか。さあ、いってみよう中国映画バージョン。
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地球上で最後に生き残った男が、部屋に座っていた。
するとノックの音が…
「あなた、私よ、開けて」
しかし何ということだろう、彼は長い間の戦いに疲れ果て、目も見えず耳も聞こえなくなっていたのだった。
「お願い、開けて、私よ」
彼女は敲く月下の扉。彼女は推す月下の扉。
敲く、推す。どっちがいい表現だろうか。と悩んだあげくに、推敲という言葉ができました。というのはウソ。
彼女はそうして二千年の間、彼が扉を開けるのを待ち続けたのであった。なぜなら彼女は、不老不死だったのだ。
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すごいなあ。中国だなあ。話が雄大で、故事までついている。
これが、韓国映画となるとこう素直にはいかない。とにかく予想を裏切って感動させるのが常道だから、低予算でCGも使わずあらゆるテクニックを駆使するのである。
それでは、韓国映画バージョンをいってみよう。
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地球上で最後に生き残った男が、部屋に座っていた。
するとノックの音が…
「あなた、私よ、開けて」
しかし彼は、長い戦いに疲れ果て、自分の耳を信じようとしない。これは幻聴なんだ。これ以上また絶望なんかしたくない。彼女が生きていたなんて嘘だ、あり得ないさ…。
「お願い、開けて、いるんでしょう。お願いだから」
ドアの前で泣き崩れる彼女。この演技が上手にできてこそ韓国女優といえるのだ。
頭をかかえ葛藤する彼。いろいろな美しい思い出が走馬燈のように頭を駆けめぐる。違う、そんなはずはない、これは幻聴なんだ。
ついにたまらなくなってドアを開ける彼。しかし一瞬遅かった。彼女は悲しみのあまりドアの前で命を絶っていたのだった。悲劇に耐えられず号泣する彼。韓国では、男優さんもこれができないといけません。
ところが、ああ、神様の悪戯か。彼女は意外にも軽傷で、生き返ったのであった。激しく泣きながら抱き合う二人。音楽も大いに盛り上がりましょう。ここでは韓国映画3大必殺技のひとつ、360度カメラ回転だあ~。
ところが運命は甘くない。数日後、幸せに暮らし始めた二人を次の悲劇が襲う。ああ何と、彼女は白血病に冒されていたのだった。
「たとえ短い命でも、僕はすべてをかけて君を愛する」
「私の命がいつ果てようとも、私の愛は永遠よ」
あらためて愛を誓う二人に、なぜだか出生証明書が落ちてくる。またもや神の悪戯か。二人は兄妹だったのだ。ちゃんちゃん。
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日本映画だとどうなるのかって? さあ…。私は日本映画を観ないのでようわかりません。
バリエーションはまだまだ続く。生き残った男は一人だったが、女はぜんぶ生き残っていたかもしれないでしょ。どこにも、女もぜんぶ死んだとは書いていないし。というわけで、こんな風にもできる。
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地球上で最後に生き残った男が、部屋に座っていた。
するとノックの音が…
彼がドアを開けると、その前にはにっこり微笑む女、女、女、女、女(白鳥座まで続く…)。
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これは天国か。いや、地獄かもしれないな。
とにかく悲劇にはならないよね。これ以降はスラップスティック・コメディとなる以外にはないだろう。
まだまだいろいろとバリエーションがあるのだが、疲れるだけなのでこのへんでやめておく。私の場合がヘンなのは、以上のバリエーションがほとんど一瞬に頭の中でできてしまうことだ。それで、脳が飽和状態になり、一人で笑い転げるのである。本当にヘンだ。
小説だけで済んでいればまだいいが、テレビを観ているときとか哲学書を読んでいるときにまでこの種の発想がうごめき出す。
哲学書を読んで大笑い、歴史書を読んで大笑い。しまいには街角の看板を見て大笑いしている私って、どうなんだろう。
思考というのは、このような無限のバリエーションの中から論理と秩序を紡ぎ出すことである。私はそう思っている。じゃあ、そのバリエーションはどこから湧き出てくるのだろうか。思考の結果として出てくるのだろうか。
私は、違うように思える。思考とは発想に秩序をもたらす過程だが、発想というのは勝手に出てくるものだと思っている。私はその発想の出てくる蛇口を手にしている。蛇口をひねれば、発想は勝手に出てくる。しかしその水(発想)がどこからもたらされたものであるのか、よくわからない。
こういうのは私だけだろうか。誰でもみんなそうなんだろうか。
と、前半でどうでもいい話をしつつ、最後に思考過程についての哲学的洞察でまとめる猫哲学者であった。ちゃんちゃん。
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「どれもこれも、ひねくれたストーリーばっかり」
いつもの超美女は、いつものように突っ込みをいれる。
「これがオレの性格だ。ほっといてくれ」
「このお話は、誰がノックしたのかを想像するのがミソでしょ。もっとシンプルに楽しめない?」
「たとえば?」
「ノックしたのはゴジラだった」
「足音もたてずにどうやって来たの」
「ノックしたのはウルトラマンだった」
「3分間でさようなら」
「ノックしたのはチンチラだった」
「やめてくれ。別の発想回路が暴走を始める」
「ノックしたのはオカマだった」
「自殺したくなるな」
「ノックしたのはパンダだった」
「その方向はやめてくれって」
「ノックしたのはターミネーターだった」
「いまさら何のご用ですか」
「ノックしたのは長島監督だった」
「ノックの意味が違う。脳梗塞だし」
「ノックしたのはキティちゃんだった」
「うちのタマ知りませんか」
「ノックしたのはあたしだった」
「お、それはちょっと楽しいかも」
「でも鞭と蝋燭を持っていた」
うえええ…。
[上の文章は、約4年前に書いたものです。]
[original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com]
[mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]
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