2009年1月25日日曜日
【猫哲学4】 猫ろんり学。
猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ┃
居間にネコろんで考えた。論理学というものがわからない。
A=B B=C ゆえに A=C
これがもう、まったくどうしようもなくとてつもなくわからない。
A=B
まず、これがわからない。AとBとは同じもの(こと)なのか、違うもの(こと)なのかがさっぱりわからない。等式でむすばれているから同じもの(こと)を意味しているようだが、ならばなぜBと呼ぶのか。なぜ同じもの(こと、…いちいちめんどくさいな、以下は もの で通すので誤読なきよう)を別の名前で呼ぶのか。AならはじめからAといえばいいじゃないか。
この世にまったく同一なふたつの対象があって、それは空間までも同一の場所を占めていることになるが(そもそも可能か?)、その片方にAという名を与えたとたんに、片方は別の名を持つという点において、もはやAとは別のもとになるのではないのか。これを避ける A=B はどのように成立するのか。というより、不可能を記号でごまかしただけだろ。
A=A
ああっ、美しい。なんてわかりやすい。完璧だ。何を言ったことにもならないけど。おなじものに別の名前をつけたりするから、おかしな等式が必要になってくる。おなじものに別の記号を与えたりするヤツは、ものすごくひねくれた性格の主といわねばなるまい。そんな輩と会話したら、きっと不愉快になるだけだろう。
B=C
これがまたわからない。Bって、Aじゃなかったの? 最初にそう定義したのはあなたでしょ。何でCなんて必要なわけ? すなおにAといえばいいじゃん。そうしたら、
A=A A=A だって A=A ~カモメはカモメ~
はい、これで完璧。BもCもいらない。混乱もなにもない。一目瞭然なのだ。美しい。で、この式でなにをいいたいんだったっけ。
数学の世界でなら、これは成立するのか?
50+50=100 100=10×10 ゆえに 50+50=10×10
一見、もっともらしい。たしかに成立している。しかし「ゆえに」がわからない。けっきょく、はじめからみんな100なんじゃないか。「ゆえに」の介在する場所など、どこにもなかったのだ。
50+50=10×10=100
これでどうしていけないんだ。なぜ「ゆえに」なんだ。いやいや、まだ徹底さが足りないぞ。
100=100=100
最初からこのようにしておけば、誤解の余地などない。なんでまたでわざわざ別の表現を持ち出すのか。遊びとしてなら許しておけるが、こんなもので論駁されたら、たまったもんではない。
現実世界では、この論理はどうなるか。例えば、3匹の猫がいたとしよう。
猫A=猫B 猫B=猫C ゆえに 猫A=猫C
おいおい、猫は1匹しかいないじゃないか。残りの2匹はどうしたんだ? ちゃんと餌やったか?
だいいち、生きている猫を等式で結ぶなんてことは、不可能なのである。記号化してあるのでごまかされるかもしれないけど。それならわが家の愛猫を仮にソクラテスと呼んだとする。残りの2匹にはプラトン、アリストテレスという名を与えよう。そうすると
ソクラテス=プラトン プラトン=アリストテレス ゆえに ソクラテス=アリストテレス となる。
なわけねえだろう、うちのソクラテスは断じてアリストテレスなんて駄猫とはちがうぞ。うちのソクちゃんは世界最高にかわいいやつなんだから、なあソクラテス。
「にゃあ」
返事するか、このバカ猫。
ここで何が間違っているかというと、生き物という個体を=で結んだことだ。生きている個体は、細部において完全に異なっている。それを=で結んだとしても、何も述べたことにはなっていないのだ。しかし、現実世界では、この誤りは、もっと巧妙になってわかりにくくされている。その一例:
アメリカ人はアホである。 アホは凶暴である。 ゆえに アメリカ人は凶暴である。
現実認識としてはとても正しいが、論理的にはぜんぜんダメである。アメリカ人のすべてがアホというわけでない。アメリカ人には他に、ボケ、カズ、クズ、マヌケ、外道、人非人、ケダモノ、ヤクザ、人殺し、詐欺師、(以下、白鳥座まで続く)等々のいろいろな種類があるので、論理の1段目は部分的にしか成立しない。そして3段目が個別論でなく全体論として述べられているために、論理が成立していないのだ。記述の意味はなかなかいいとこ突いているので残念だが。とても残念だが。いや、すごく残念だが。
これはわかりやすい破綻例だが、日常にはもっと凶悪な論理破綻が大手をふっていることがある。例その2:
デフレは供給過剰である。 企業がリストラをしたら供給過剰でなくなる。 ゆえに リストラを行政指導したら、デフレは止まる。
何というアホな思考であろうか。「デフレ=供給過剰」と教科書に書いてあるから、こんなばかばかしい論理が成立する。問題はそんなところにはないのだ。
デフレの真相とはこうだ。政府の財政破綻と天文学的借金。年金の崩壊、郵貯の崩壊、真っ暗闇の未来への不安から、庶民はお金を使わずに貯め込んで、来るべきパニックに備えているのだ。誰もよけいなモノは買わなくなってしまったので、結果的にモノは余っている。これが供給過剰に見えているだけのことだ。だというのに政府役人は「供給過剰」という言葉だけを信じて、それなら企業の活力を削いだら、供給は減少すると考えた。そして、リストラ=首切りを奨励する。結果として失業者はあふれかえり、不安はますます強いものになり、庶民のサイフは石のように固くなってしまった。デフレは悪化するばかり。
小渕=森政権で成立した、「せっせとリストラした企業には税金優遇してやるよ措置法」は今でもあるんだろうなあ。東大出官僚の救いのない言葉尻だけ辻褄合わせ政策が、日本を苦しめている。リストラで首を切られる人も、それで税金免除される経営者も、みんな被害者なのだ。そして、誰もこの論理破綻を追求しない。マスコミ人だって東大出がいるだろうにねえ。あ、そうか東大だから理解できないのか。
かなり脱線した。このようなわけで、私は三段論法を理解できないばかりか、三段論法を操る輩に、アホかいな、と叫ぶのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある女性にこの話をしたら、
「あったま悪るう~、なんでわかんないの」
それだけであった。
友は選ぶべきである。できれば、できれば猫の如く寡黙なものにしよう。しみじみ思った。
[上の文章は、約4年前に書いたものです。]
[original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com]
[mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿