2009年1月25日日曜日

【猫哲学30】 ナマズがむずむず。

 
       猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ┃


 うちの猫に食べさせるイワシが買えない。

 私はイワシの生干しというのが好きで、自分のためによく買ってきては焼いて食べるのだが、バカ猫が欲しそうな目をするので分けてやらなければならないのだ。

 私の姉は、そんなもの塩分が強すぎてダメよというが、いやいやそんなことない、平気で食べているよ。前にも書いたが、ヤツらは食欲に関しては適応の天才なのだ。

 ところが、そのイワシが買えなくなってしまった。売っていないんだもんな。

 新聞によれば、今年はイワシが極端な不漁だという。例年の千分の一も漁れないのだとか。そのためにお値段も極端に上がり、グラムあたりの比較では鯛よりも高くなっているらしい。おお、高級魚イワシ。

 値段が上がるなんてことは卸売市場で起きていることで、私のような庶民が買いにいく商店では、姿を消しちゃうという現象になる。高級魚だからな、高級料亭に流れてしまうのでしょう。まあ、市場とか流通とかいう世界ではよくあることで、べつに驚くようなことでもない。だけどうちのバカ猫は最近、少しつまらなさそうである。

 マリー・アントワネットじゃないけれど、イワシがなければアジを食べればいいのであって、私はそんなこと少しも気にならない。だが、ちょっと心にひっかかることもある。それは、イワシはどこへ行っちまんだろうという疑問だ。

 海に、異変が起きている。

 イワシだけではない。サバもまた、例年の10分の1も捕れないらしいのだ。

 海流が変化したのか、水温が変化したのか、あるいはもっと別の何かが起きているのか。イワシが消えた、なんて無視できない異変が起きているのに、値段が上がった程度の記事にしかできない新聞は、なんだかどこかが狂っていないだろうか。

 私は、何か不吉な予感がする。

 こんなことをいうと、非科学的だなんてバカにされそうだが、これまでに何度も書いてきた通り、現代科学のほうがまちがっておるのだ。予感をバカにするでない。これもまた人間の多様な能力のひとつ、とでも考えておけばいいのだ。そのほうが、人生でえらい目にあう確率は確実に減るよ。

 おっと、今回は予感の話ではない、私は地震が心配なのだ。

 どうも、大地震は来るようである。政府もかなり真剣に対応しようとしているようにみえる。自治体の災害訓練は、昨今どんどん大規模になり、本気度も増してきているようだ。

 で、折りもおり、イワシやサバの異変というわけ。関係あるのかな。地震に海洋異変はつきものだというし。

 日本という国は本当にすごい地震大国で、この点に関しては世界中の誰にも自慢していい。私も阪神大震災の震度7の経験者だぜ。ちょっと記憶をほじくり返しても福井地震、十勝沖地震、新潟沖地震、三陸沖地震、奥尻島の津波、いくらでも出てくる。

 関東大震災は生まれる前のことなので実感がわかないが、それをいい出すなら1944年の東南海地震と1946年の南海道地震をあげねばなるまい。これはとても重要な地震なのだ。

 なぜ重要かというと、この三つはとてもでかい地震で、被害も大きかったのだけど、江戸時代からの記録を調べると、この地域ではだいたい70年ごとの周期でくり返し大地震が起きていたことがわかってきたからなのだ。

 ちなみに、関東大震災は1923年。もう80年もたっているから、次のがいつ来ても不思議はない。そろそろ用心しておくにこしたことはない。

 残りのふたつも60年近く前になるから、そろそろ周期性の圏内に入ってきた。世の中には、この三つが同時に起きるかもしれないという人もいるから、いやはやぶっそうな話である。

 ところで、このジャンルに詳しい人なら、「あれ、東海地震はどうなったの?」と思われるだろう。わははは。そう、その話を始めると、世の中はいきなり猫哲学的世界に入っていくのだ。ここまではちょっとマジメすぎだよな。

 はい、みなさん笑いましょう、東海地震。このことが取り上げられようになったのは、1969年にさかのぼる。

 とある地震研究者が、東海地方の地震の記録を調べてみて、「この地域では100年近く大地震が起きていない」といい出した。ちょうどその頃はプレート・テクトニクス理論の売り出しまっ最中で、東海沖に三つのプレートがぶつかっているという話とセットになって、ひええ~、えらいこっちゃ、壊滅的な大地震が目前に迫っている、明日おきても不思議ではない、きゃい~んわんわんと大騒ぎになった。

 そしたらここに東大地震研が登場。東海地震を予知してみせようぞとて、政府から何百億円もの予算をぶったくり、高価な地震計やひずみ計を東海沖の海底に沈めるだとか、ハイテクにメカニックな大プロジェクトがスタートした。

 ところがこの研究、スタートそのものがまちがっていた。実は、東海地方では、その20数年前に巨大地震が起きていたのだ。そのことをみんな知らなかったのさ。だから、それから30年、東海地方はちっとも揺れないで今に至っている。

 何でそんなおかしなことになったのかって? はい、説明しましょ。

 1944年12月7日、昼頃、その地震は起きた。時は戦時中、敗戦の前年。本土決戦だ一億玉砕火の玉だなどと朝日新聞がわめいていた時期のことだった。で、その地震のために、名古屋から東海地方にかけて操業していた航空機工場が壊滅してしまったのだ。

 ちなみに、三菱飛行機名古屋は零戦で有名だが、その頃は艦上戦闘機烈風の試作中だった。愛知航空機(注1)では艦上攻撃機流星の量産が始まっていた。有名な中島飛行機の製作所も、名古屋にあったのだ。私の趣味の領域なので、詳しいのですね、これが。

 現代の戦争では、制空権がなければ戦争に勝てない。制空権をとるためには、飛行機がいる。なのに、飛行機が作れない。工場が壊滅しちゃったんだもんね。

 この地震は、実質的に日本の敗戦を決定づける最後のひと押しだったと私は思う。それほどに深刻な地震のことを、何でみんな忘れていたのだろう。

 その答えは、いわゆる軍政下にあった当時の日本。こんな大被害が出たことは、国民には隠さねばならない。大きいほど秘密にしなければならない。志気に影響するじゃん、大本営発表。というわけなので、新聞もこの記事を書かなかった。NHKは当然だまっていた。東京では噂にもならなかった。へたに噂をすると、特高に引っ張られてブタ箱だ。そして、官報にも載らなかった。

 官報に載らなかったのがまずかった。戦後、東大の地震研究者たちは官報に載っていないから「なかった」と思ってしまった。そのために、東海地震切迫説が大手をふって歩き回るようになってしまったというわけ。

 でもこんなアホなこと、いつかは誰かが気付くよ。じっさい気付いた人がいたようで、いつの頃からか1944年12月7日の大地震には、「東南海地震」という名がつけられて、震源地は熊野灘ということにされてしまった。場所を微妙にずらしたわけだ。そうしておいて「東海地震は起きていない」ということに今でもなっている。しかし、学者はひどいね。

「東南海地震」というのをちょっと調べてみると、和歌山、三重あたりが被害をうけて、死者998人ということになっている。嘘をいうんじゃないよ、本当は名古屋から静岡あたりが大きな被害を受けて、死者は数千に達するはずだ。だがいかんせん、記録が抹殺されているので、正確にはわからない。

 でも例えば、中島飛行機名古屋工場だけでも、学徒動員の女学生たちが100人以上亡くなっている。名古屋市内全体での被害は、想像にあまりある。

 まあそんなようなわけで、東海地震と地震研究というのは、最初からかなりオマヌケな様相を呈していたわけだ。さてそれから30年、投入された税金は数千億円。それで地震予知は可能になったか? いやいやそれが、東海地震予知連絡会は「地震の予知は原理的に不可能なのだ」と捨てゼリフを残して解散しちまいましたがな。無駄遣いした税金を返せ、この詐欺師野郎ども。

 研究が結果的に失敗したことを怒っているんじゃない。この間、電波とか地熱とか磁気とか井戸とか、あるいは動物の研究だとか、地震予知の可能性を秘めたアプローチはいくつも提唱されたのだ。だが、東大の学者どもはそれらの研究にほんのわずかな予算でもつこうとするのも妨害し、自分らの研究だけに膨大な予算を引っ張ってくるように工作しやがった。これが気にいらねえんだよ。こいつらのどこが学者やねん、おのれらは官僚か! あ、東大の教授は国家公務員だったな…。

 いったい、地震を研究している人たちの科学的モラルというのは、どういうことになっているのだろうか。この人たちがいかに日和見で曲学阿世であるかの例を、次にあげよう。

 去年の春ごろ、鳥取・島根あたりを中心にけっこう大きな地震があったんだけど、覚えてる? 大阪市内のわが家でもかなり揺れたよ。最新耐震設計のマンションなんだけどさ(自慢!)。

 かなり広域、大規模な地震だったらしくて、マグニチュード7.3と発表された。でもそのわりに被害が少なくて、死者はゼロ。けが人だって3人ほどだったと思う。震源地域が人気のない山陰地方のどまんなかだったのが幸いしたのかな、いやいや、けっこうな話ではある。

 ところが、いったい誰がいい出したのかしらないが、こんなに被害の小さな地震のマグニチュードが、阪神大震災の7.2と同程度なんておかしいじゃないかという話になってきた。おいおい、マグニチュードって、そういうことじゃないでしょ。

 こんなときこそ学者さんが出てきて、きっちり話をするべきだ。地震の大きさと被害の大きさはべつべつのものだ、ごっちゃにして話をしなさんな、ってね。

 ところがところが、話はいったいどうやったらそういうことになるのかぜんぜんわからないが、鳥取西部地震のマグニチュードは6.8に下方修正されちまった。こらこら、いったい何をやってやがる。学問の誇りはどうした。

 もうひとつ別の話をしよう。1994年、青森県太平洋岸を中心に、大規模地震が起きた。

 しかしその地震、タイミングが実に悪かった。青森県六ヶ所村では核燃料再処理センターの建設が進んでおり、数ヶ月後には操業の予定だったのだ。

 反核団体は、そんな地震の巣みたいなところに廃棄物処理施設なんてぶっそうなものをつくるなよ、大地震が起きれば東北地方は壊滅するぞといって反対してしてきた。推進側は、「いいえ、ここには地震はぜったいに起きません」と学者に言わせて対抗してきた。ところがあ~あ、地震は起きちゃった。どうする。

 実は、六ヶ所村の核施設内では、激しい陥没、ひび割れ、断層なんかが起きていて、要はその付近が震源だったらしい。しかしそんなこと、ぜったいに知られてはならないよね。核エネルギー政策が崩壊しちまうもんな。なので学者たちはのらりくらりとデータを隠し、けっきょくどんな地震だったのかは今でも判然としない。

 それからしばらくたった頃、学者たちはこの地震を記録に残しておくために、名前をつける必要に迫られた。でも下手な名前をつけると、地震の性質がバレてしまう。

「六ヶ所村核施設直下大地震」。おお、とんでもない。 「青森県東部地震」。いやあ、このあたりでは地震はぜったいに起きないといっちまった手前があるしな。

「三陸沖地震」。うわあ。同じ名でむかし、ものすごい被害を出した大地震があったよな。マズいかも、う~ん…。

 それで、学者たちが、まあこれでいこうかと妥協の末につけた名前が

「三陸はるか沖地震」

 笑っていただけました? これ、冗談とちがうよ、事実なんだよ。それにしてもまあ、何という日本語のセンス。「はるか沖」だって。いったいどのあたり向こうのことだ? 50キロ沖か? 1000キロ沖といいたいのかな? とにかく、震源は遠かったことを表現したかったわけだけど、かえって何を隠したかったのかがバレておるではないか。これでうまくごまかせたなんて思うほど、学者さんて頭が悪いのかな。ちゃうか、私らがナメられてんのか。やれやれ。

 地震業界の方々の科学的モラルとは、いかなるものであるかについてのお話でした。笑ってやってください。

 こんな腐った連中に学会が牛耳られてきたので、日本はこれだけの地震大国でありながら、地震予知についてはひどい後進国になってしまった。何だかね。まあ、予知ができようとできまいと、地震は来るのだけどね。

 そういえば政府は、東海地震についても、「今後30年以内に発生する確率は65%」と発表していたな。ぎゃははははは。科学をやっていて、こんなことを口にするのって恥ずかしくないのかよ。私の言葉で、もっとわかりやすく言い換えてあげると、こうなる。

「ここしばらくは、地震は起きるかもしれないが、起きないかもしれないです」。

 いやはや、完璧ですよ。絶対に外れることのない予測だ。だって何もいってないのと同じことじゃないか。外れようがないさ。

 つまり本当は、わからないんだ。でもわからないとはいいたくないから「65%」だって。これでごまかされる国民も国民かな。いや、マスコミの突っ込みが甘すぎるのが本当の問題なんだけどね。

 さて、最後に地震予知の話を書いておこう。

 地震予知は、はたして可能か。もちろん可能であろう。地震が自然現象であるかぎり、それにともなう何らかの現象、重力異常、地磁気の乱れ、電波の異常、井戸水の上下、動物の異常行動、地震雲、海洋異変、予震のパターン、その他諸々を観察し、規則性を見いだすことで、いつかは予知が可能になるにちがいない。(東大地震研のように理論とハイテクだけに依存しているようでは永遠に無理かもしれないが)。

 しかし、予知できるようになったとしても、100%絶対の確率で当てることができるかというと、それは無理だろう。なぜなら、地震はひとつひとつ全部違うからである。自然現象なのだから当然だが。

 本当にぜったい100%まちがいなく地震を予知するには、震源まで穴を掘って降りていって、地震という現象が発生するその決定的瞬間を目撃するしかない。しかしそんなこと、人間にはできやしないのだ。

 人間がこれまでに地球に掘ったいちばん深い穴って、どれくらいか知ってる? その穴はコンゴの金鉱山にある。深さ4000m。通常の地震の震源の深さは、数10キロから数100キロに達する。どう考えても直接の観察など不可能だ。かくして、我々が知りうる地震についての情報は、すべて間接的なものにすぎないのだ。先に私が並べ立てたようなね。地震の原因なんて、ほんとうはなにひとつわかっちゃいないのである。

 そこで学者は、理論というものを持ち出してきて、その確実性を高めようとする。いわゆるプレート・テクトニクス理論ってやつだ。しかしあれがいかにもっともらしく見えようと、プレートそのものを直に観察した人などだれもいないし、ましてやその理論にしたがって起きた地震などここ半世紀で一度も観察されていない。地面の下というのは、本当は誰も知らないブラックボックスなのだということに、そろそろ皆さん気付かれたほうがいいのではないか。

 さて、ここからが猫哲学的考察である。

 近い将来、地震予知のための学問が進み、ある日ひとりの学者が2日後に関東大震災が起きることを発見したとする。えらいこっちゃ。だがその警報は、出されるだろうか。

 想像してみよう。ある日のTVニュースで内閣総理大臣が出演し「2日後に大地震が起きます。みなさん注意してください」といったとしたらどうなるか。

 大半の住民は東京を逃げ出すだろう。道路は西に東に逃げ出す車であふれ、大渋滞。新幹線なんか、切符を奪い合う状態で、すし詰めで走ることだろう。行政はマヒ。金融機関は閉鎖。空洞化した都心に残された外国人によって治安は崩壊するね。まず確実に火災が発生するだろう。その火が渋滞中の高速道路を襲ったら、どんなことになるのか。もっとすごいことを教えてあげようか。東京各地にある大型LNG(液化天然ガス)タンクに火が回ったら、どうなると思う? その爆発力は、ちょっとした原爆並みだっていわれているんだよ。

 そして2日後、警告どうりに地震が起きれば、すべては仕方なかったですむだろう。だが、起きなかったらどうする。理論上ぜったい起きるはずと予測された地震が、なにかの事情でけっきょく起きなかったことは、これまでにも何度もあった。前にも書いたけど、地震は自然現象であって、ひとつひとつぜんぶ違うのだ。今回予測されたものが例外である可能性は、けっして否定できないのである。というわけで地震が起きなかったとしたら…。地震が起きたわけでもないのに崩壊しちまった首都東京を前にして、人々は何というだろうか。

「どこのアホが、地震がくるなんぞとぬかしやがったんじゃい。責任者でてこい」。必ずこうなるね。

 さあ、あなたがその研究者であったとしよう。あるいは、研究者に予測を報告された政府関係者であったとしよう。あなたは、人々に警告を発する勇気があるだろうか。

 そんなわけで、地震に関する警報が出されることは永遠にないのだ。おそらく、政府が握りつぶすだろう。で、自分たちだけは逃げるんだろうな。

 まあそういうことなので、私はいつも皇族と首相の動きにはけっこう注意をはらっていたりする。ほへ。

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 こんなことを、とある超美女と話していたら、彼女はこういった。

「それで、イワシはいつになったら食べられるのよ」

「なぬ? イワシ食らうかその顔で(注2)。高級魚しか食べない女と思っていたぞ」

「それは、あなたが女ってものを知らないだけよ」

 やかましいっ! 二度と食事なんぞおごってやらんからな。

(注1) 文中、愛知航空機という会社名が出てきますが、そんな会社はない。正しくは、愛知時計電気会社という。わかりやすくするため、わざと変えて表記しました。ははは、軍事マニアのこだわりってやつさ。

(注2) とある有名な俳句のパロディです。


[上の文章は、約4年前に書いたものです。]
[original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com
[mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]

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