2009年1月25日日曜日

【猫哲学28】 知らないものは知らないということ。

 
       猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ┃


 猫が空を見ている。

 空を見るという行為は、心を空に飛ばせることだ。ヤツの魂は、いま高度何メートルあたりを飛んでいるのだろうか。今日の雲は400メートルほどの高度だから、あのあたりかな。

 ところで私の特技は、夢の中で空を飛ぶことである。飛ぼうと意志して飛べるのだ。うらやましいだろ。…そうでもないかな。

 夢の中で私は、これは夢だなと気付くことがある。気付いたら、周囲を観察する。そして、やはり夢だと確認し、確認できたらしめたもの、そこらへんの窓とか崖とかをみつけて、ダイブするのだ。楽しいよ~。調子が良ければ高い高度までいける。調子の悪いときは電柱ほどの高さにしか昇れないのだが。

 眼下の風景は、ときには町並みであったり、緑の平原であったり、青い海原であったり。あるとき見た夢では、アステカ風の台形ピラミッドが何基も配置された緑野が広がっていた。あんな風景はどこでも見たことがないぞ。夢なんだから当然かもしれないが。

 そんな夢のたびに、私は思う。もしかすると人間の魂は、空を飛べるのではないか。あの夢の中で見た風景は、はるかな昔、私が実際に見た風景なのではないだろうか。ただの妄想かもしれないけどね。

 てなことを考えていたら、有名なナスカの地上絵のことを思い出してしまった。とても有名なのでここでは詳しく説明しないが(知らない!という方は、メールをください)。あまりにも巨大すぎて空からでないと見えないあの絵は、いったい誰が、なんのために描いたのだろうか。

 地上からでは、砂漠をひっかいてつくった単なる溝にしか見えない。ところがはるか上空から見ると鳥や猿、昆虫や魚などさまざまな動物に見えるこれらの絵は、だから20世紀になるまでまったく気付かれることのないまま、1926年、たまたま通りかかった飛行機によって発見された。

 誰がこの絵を描いたのか。いったいどうやって、この絵を(高空から?)ながめたのか。まったく何も知られていない。このミステリーは、「古代人が飛行機を持っていた」とか、「宇宙人が描いた」とか、謎不思議系のトンデモ本の好ネタとして、人々の興味を集めてきた。だからといって私は、この謎に挑むつもりはない。むしろ、こういう不思議を探求する人々の性質というか、正統派歴史家のメンタリティというものにものすごく興味があったりする。

 ドイツ人のマリア・ライヘ女史という人がいて、ナスカの謎に一生を捧げる覚悟で現地調査を繰り返し、この人が1965年に出したレポートが現在のところナスカ地上絵をめぐるもっとも正当な説明とされている。

 その説というのをかいつまんでいうと、以下のようになる。

●この絵は、だいたい起元後5~6世紀頃に描かれた。
●この絵は、農業用に季節をカウントする天文カレンダーである。
●巨大な絵を描くときには、小さな図面を描いて、それを地上に拡大展 開していけばいいので、べつに空を飛ぶ必要はない。

 西洋人が古代遺跡を調べると、必ずこのようになる。まず年代だが、エジプト文明より古いという結論には、絶対にならない。

 現地住民が、「どうやって描いたかわからない」といっているのに、その人たちのための農業カレンダーだと意味を矮小化する。

 空からしか見えない絵を、空を飛ばずに描くことはそりゃ工夫すれば可能だが、じゃあいったい何のためにそんなことをするのだという疑問にはまったく答えていない。

 総じて、こんなもの誰にでも描ける、それほど古いものじゃない、不思議なんてなくて、現実的な目的をもったものだ、といいたがる傾向が強いのだ。こういうの偏向ともいうね。

 マリア・ライヘさんには気の毒だが、彼女がまじめな人だったのならいやほんとうに気の毒だが、この方のライフワークをこなごなにふっ飛ばす事実を、私が紹介しよう。

 2002年10月、このナスカ高原あたりを撮影していたNASAの気象衛星ランドサットが、とんでもないものを写してしまった。それは山地に描かれた巨大図だった。最長60キロメートルはある直線が鋭角的に交差して、ちょうど大阪市のマークのような左右対称図形を構成している。平原に描かれたのではない。山また山の山岳地帯で、直線は山を越え谷を越え川を越え、描かれていた。なぜそれまで発見されなかったのかというと、飛行機から見ても、大きすぎて全体が見えないのだ。もっと高度の高い、宇宙から見てやっと認識できたというわけ。さあ、こんなものを、いったい誰が何の目的で、どうやって描いたんだ。ライヘさん、宇宙にまで行かないと見えないこの図形を、いったいどうやって農業に使うというんですか。

 私はべつに、宇宙人だ超古代文明だなどとSFオカルトに走るつもりはない。だが、不思議なものはある。それを不思議だとなぜいわないのだ。世の中には、説明可能なこともあれば説明不可能なこともある。ここまではわかるが、ここから先はわからない、と正直にいってしまう勇気というものを、なぜ学者たちは持とうとしないのだろう。

 古代史関連の本を読んでいると、いつもこういう矮小化への執着を感じて、ものすごく欲求不満になってしまう。

 エジプトの大ピラミッドにしてもそうだ。世間はあれを、クフ王の王墓だと信じて疑わないが、私にいわせりゃ、ちゃんちゃらおかしいのである。ギリシア時代にヘロドトスが「あれはクフ王がつくらせた」と書いているが、もうその時点でクフ王以来2000年も経っていて、伝説と区別がつかない。別の伝説では「クフ王が丘にこしかけていると、夢にスフィンクスが現れて、私が砂の中に埋まっているから掘り出せと命じた」という。クフ王は建設者ではなく、再発見者ということだ。こちらのほうが1500年ばかり古い伝説なんだが。

 クフ王の墓だというなら、遺骨か副葬品の少しでもあったのかというと、ただの一個もないという現実がある。碑文さえない。

 クフ王の時代のものだという唯一の物的証拠は、玄室の奥の部屋の隅っこに「クフ」と読める落書きがあったというやつなのだが、この落書き、実は20世紀に発見されものだ。

 とあるイギリスの考古学者が、「クフ王のものである証拠を発見してやる」と意気込んでスポンサーを集め、現地政府の了解をもらってピラミッドを隅から隅まで調べたのだが、何も発見できなかった。そのうち資金は尽きてくる、許可された期限も迫ってくる。とうとう最後の夜、この学者は「もう一度、これが最後だ」といって一人でピラミッド内部に入っていき、ついに「やったー、発見した」と叫んだ。それでみつかったのがこの落書き。おいおい、ホントかよ。あんたが書いたんじゃないのか。こういう都合のよすぎる話は、私は信じないことにしている。

 ことほどさように、ピラミッド=クフ王建設説はあやしさだらけのものなんだが、学者はかたくなにこれを信じてやまない。私は、こういうのを歴史の矮小化と呼んでいて、わからないことは、わからないままわからないとなぜいわないんだと不思議に思う。

 ピラミッドの側のスフィンクスには、雨に浸食されたとしか考えられない深い縦溝がついている。(砂漠で風と砂の浸食を受けると、横溝しかできない)。ナイル河畔のあの一帯が豪雨にさらされたという記録は歴史時代にはなく、ここ1万年はまとまった雨が降っていないという気象学からの指摘もあるから、あの溝は氷河期の末期、北アフリカが熱帯雨林気候だった頃、土砂降りの雨によって刻まれたと考えられる。ということは、ピラミッドとスフィンクスが造られたのは、少なくとも1万1千年以上前ということになる。だけど、こんな説をまともに取り上げる学者はいない。学者は頭が悪いに違いない。いや、了見が狭いというべきか。

 ピラミッドが完成したばかりの頃、それはどんな姿をしていたか、知ってる? 完成したピラミッドは石灰岩の白色だと思う人が多いが、じつは表面は赤大理石で化粧仕上げされていた。今の石灰岩むき出しの階段状ではなくて、表面はきれいな傾斜石でつるつるピカピカに仕上げされていたんだよ。赤大理石の名残りは、第2ピラミッドの頂上近くにわずかに残されているから今でも見ることができる。大ピラミッドの表面の仕上げ石は、実は回教徒が寺院を建てるためにはぎ取って持ち去ってしまったのだ。だから、古い回教寺院の土台あたりに使われている石に赤大理石が混じっていて、それをみてみると、何やら古代文字や図形が描かれていたらしいことがわかる。(注1)

 目を閉じて思いうかべてみましょう。完璧なる四角錐に化粧仕上げされ、赤くきらきらと輝く大ピラミッド。そのつるつるピカピカの表面は何かを讃えるのだろうか、美しい文字や図形で覆われている…。こんなものを、粗末な道具しかなかった古代エジプトで、いったいどうやって造ったというのだろうか。
 ことわっておくけど、私はピラミッドがどうやって造られたかなんて知らない。ただ、知らないくせに知ったような気になっている連中がゆるせないだけだ。

 現代技術をもってしても、ピラミッドを造ることはできない。なぜならその目的と内部構造が、いまだに明らかでないからだ。いまどき電波とか振動とかを使えば内部構造なんてすぐにわかりそうなもんだけど、そうした実験はことごとく失敗している。何度やっても、いつも違ったデータが出てきてしまうらしい。古代遺跡おそるべし。で、中身のわからないものは、どうやったって造れやしないのだ。

(注1) こないだテレビで『ハムナプトラ』という映画をやっていたが、古代エジプトを描写するシーンで、大ピラミッドの稜線は、やはり階段状にぎざぎざに描かれていた。どうせCGなんだからどんな風にでもできるのにね。思いこみというのは、強いものなんだな。もしくは、ハリウッドの美術というのも、落ちたもんだってことかな。

 そろそろ今回のテーマがおわかりいただけたことと思う。知らないことを知らないと知っているということ。この当たり前のことが、頭の良いといわれる人ほどできていない。なので、私たちは世迷いごとの定説を信じ込まされて、世界をゆがんだ目でながめることになってしまう。ビッグバン、遺伝子、地震、温暖化、脳死、素粒子、例は数え切れないほどある。困ったことだ、というのがテーマなのですね。今回は個別の論議にはふれませんけど。

 また古代史関連でいうと、以前にも書いたけど、バミューダ諸島ビミニ島沖には、世界最大規模の巨石建造物が沈んでいる。ピラミッドだってあるらしい。海底といっても、浅いところでは水深50メートルもない場所だってあるんだから、海底を調査するのは難しいなんていわせないぞ。発見されたのは1960年代だから、もう40年もたっているではないか。権威筋はなぜこれを無視し続けるのだ。定説がひっくりかえるのが、そんなに怖いのか。

 話をいきなり宇宙にとばすけど、私が中学生のとき、理科の副読本で「地球外に生命は存在するか」をテーマにした文章を読まされた。著者はあのカール・セーガン。彼は、地球の酸素型生命を唯一の生命のとみなし、水星にも金星にも土星にも木星にも生命はいない、なぜなら酸素がないから、と書いていた。火星にはわずかの酸素があるが、これも少なすぎてダメ。結論として「地球以外に生命はいない」ときたもんだ。

 アホか、この男は。地球にだって嫌気性の細菌やバクテリアがぎょうさんおるというのに、酸素同化をするものだけが生命だと?(注2)

(注2) 嫌気性細菌は、酸素にふれると死んじゃうので、深海や火山の火口など、酸素の少ないところで生きています。ときたま冷凍庫にも。黒カビがそれで、食べたら死ぬよ。ご用心。

 それにくわえて、行ってみたこともない惑星の大気組成をああだこうだと何をぬかす。まあ望遠鏡観測でもある程度の推測は可能だが、それはあくまでも推測。それも表面だけの推測。本当にそうであるかは行ってみなくちゃわからんだろうが。そこから導かれた結論が、「宇宙に生命はいない」だと。こんな男のどこが科学者やねん!

 ただ、カール・セーガンの場合には、本当はもっと政治的な意図があった。当時の合衆国政府の方針で、地球外生命体の存在を認めないという洗脳キャンペーンがはられていたのだ。この男はそれにおもねるために、論理もくそもあったもんじゃない論文を書いて、それが日本の中学校の教材となっていたわけだ。教材として採用したやつの顔を見てみたいもんだ。

 さてそのセーガンだが、晩年になると、NASAの火星探査の後押しをするために、「火星には生命がいる」なんて本を書いては売りまくっていたぞ。なんやねん、科学者なんてその程度のもんかい。私は深い絶望とともに、権威なんかもう絶対に信じないぞという思いを強くするのであった。

 そういえば、また話は飛ぶけど、ときどき気象庁に「UFOが飛んでる」なんて通報がはいることがあって、そんなときにはさっそくナントカ先生がテレビに登場し、「あれは球電です」だの「プラズマです」だのと説明をしているが、あれを見ると本当に腹が立つ。

 私はべつにUFO信者ではないが、あの学者、自分で見てもいないものの説明がなんでできるんだ! 「UFOです」といってほしいわけじゃない。そうじゃなくて、「見ていないのでわかりません」というべきだろう。どんなに頭の良い人でも、見てもいないものを説明するなんていうことはできるはずがないじゃないか。いったい何を考えてやがるのだ、このトンチキ学者どもは!!! おっと、興奮してしまった。

 これらのことを哲学的に深めていくと、いろいろと強烈なことがいえるのだが、今回は深入りしないでやめておこう。でも、ひとことだけ、最も本質的なことを述べておく。

「学者にだって生活があるさ」。

 我々は学者に真実を求めてはいけないのである。なぜなら真実とは、ときに破壊的なものを含んでいたりするものだから。学者は、身の安全及び日常生活と、真実とを天秤にかけたとき、安全のほうを選ぶしかないということなのだ。そう考えるとしかたないよね。情けないけど。

 読者のみなさま、世の中でいろいろ語られていることは、話半分に聞いておくようにしましょう。素直に信じ込んでしまって、たとえば脳死移植のために殺されて臓器を奪われちゃうなんてことがあるのが世の中だ。学者はたいてい、誰かの利益のために発言しているのがほとんどなので、真理なんてものは、けっきょく自分でみつけるしかないのさ。私も、こうしたことが本当にわかってきたのは40歳を過ぎてからなんだけどね。しまった、年齢がバレるじゃないか。

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 こんなことを、ある美女と話していたら、彼女はいかにもバカにしたような顔でいった。

「歴史の改竄なんてのは、支配者の常識じゃん。古代史だって同じことでしょ」。

 くくーっ!! その通りだ。ああそうだよ、私は甘ちゃんでしたよ。でもこの女、なんでまたいきなりそんな洞察力を発揮するんだよ。くやしいじゃないか。そのうち歳をバラしてやるからな。

【おまけ】
 ナスカの話が出てきたので、ついでに周辺の話題をお届けしようと思います。『世の実★』シリーズの情報収集のついでにみつけちゃったんですが、まあ、それほど意外でも衝撃的でもないし、でも何だかなってお話ですので、こちらでいっとこうと思います。以下、新聞記事の引用をお読みください。

==以下引用==========================
『ナスカ平原に集積所 地元市長が設置強行。二つの地上絵が傷む』(共同通信/西日本新聞)
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/news012.html
【リオデジャネイロ16日共同】地上に描かれた数々のミステリアスな絵が世界的に知られるペルーのナスカ平原に、地元自治体がゴミ集積所をつくり、収集トラックが地上絵を横切っていたことが分かった。

 コメルシオ紙などが十六日までに伝えた。ナスカの市長は「既存の集積所は遠すぎた。財政難のため近くに捨てざるを得なかった」と弁明するが、関係者は「貴重な遺産で、地元にも大切な観光資源なのに」とかんかん。国立文化研究所(INC)は市長らの刑事告訴を検討している。

 問題の集積所は、クジラを描いた地上絵から約一・五キロの地点にあり、収集車は一週間ほど前まで約一カ月間、一日二回ずつ平原を横切っていた。

 地上絵は平原の地表を深さ十センチほど取り除き、明るい地肌を露出させて描かれている。INCは収集車の走行で、四角形を描いた二つの地上絵が「傷んだ」としている。

 ナスカ市の市長は、INCに事前に集積所設置の許可を求めたが受け入れられず「頭にきて」捨て始めたと話している。

 地上絵は、紀元一〇〇―八〇〇年ごろに栄えたナスカ文化の遺産とみられ、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に指定されている。
==========================引用終り==

 世の中には無神経な野郎がいるもんだが、そういう輩にかぎって市長になんかになったりするもんだから、ややこしいことになる。

 それにしても「ゴミ捨て場」とはねえ。意図的に冒涜しようとしているんじゃないのかな。そうとしか思えない。いやな世の中になっちまったもんですね。ではまた。


[上の文章は、約4年前に書いたものです。][original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com/][mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]

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