2009年1月25日日曜日

【猫哲学12】 考える猫である。

 
       猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ┃


「人間は考える葦である=パスカル」

 こんな超有名なフレーズがありましたね。あまりにも有名で大人も子供も、猫でさえも知っているに違いない。おいバカ猫、知ってるよな。…頷いているよ。本当か、おい。

 ところが私は、この一文については、昔から釈然としないものを感じていた。というより、意味がよくわからんかった。

 実はこの一節には続きがある。

「……彼を押し潰すのに、全宇宙が武装するには及ばぬ。蒸気や一滴の水で事足りる。だがたとえ宇宙が彼を押し潰しても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分の死を、宇宙が自分より優っていることを知っているからである。宇宙は何も知らぬ。だから、我々人間の全尊厳は、考えることのなかにある……」

 ひでえ悪文だ。こんな文章を前に、誰もが「深淵だ…」などと感心しているのだろうか。私には、まだよく読みとれない。人間とはもろいものなのか、偉大なのか、どちらに力点が置かれているのかがはっきりしないのだ。ちょっと分解して解釈してみよう。

<彼を押し潰すのに、全宇宙が武装するには及ばぬ。蒸気や一滴の水で事足りる。>

 人間は弱いもんだと言いたいわけですね。だからといって全宇宙を武装させんでもよろしいやないか、大げさな。こんな比喩を用いることでかえって人間が強そうに思えてしまいますよ。

<だがたとえ宇宙が彼を押し潰しても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。>

 また宇宙を動員してますなあ。そんな言い方をしたら、人間が宇宙と等価なくらい強いのかと思えてしまうではないか。弱いといいたいならもっとそれらしい表現をなさるべきでは。

<宇宙は何も知らぬ。>

 さっき殺しにきてはったのに、何も知らないの? 宇宙って健忘症?それに、宇宙に意志がないなどと、何を根拠に断言するかね。宇宙に聞いてみたんですか?

<なぜなら、彼は自分の死を、宇宙が自分より優っていることを知っているからである。>

 ここは無茶苦茶。自分が死んで宇宙は強かったとわかった、と。それが何でまた人間が「尊い」ことの根拠になるわけさ。

<だから、我々人間の全尊厳は、考えることのなかにある…>

 要は、宇宙はアホで、人間は考えるから、それが人間の尊厳であるといいたいみたいだが、葦はどこへ行った?

 それに、ここまで読んでも、人間が弱いことをいいたいのか、偉いということがいいたいのか、力点がボケまくっておるではないか。

 とはいえ、まあ、どのみちこの種の文章は、人間を持ち上げるために書かれるのがふつうだから、人間は偉大であるといいたいのかな。待てよ、それなら、わざわざ葦のように弱いものを比較材料にもってきて、それから持ち上げるなんて、論理が転倒していないだろうか。

 などとつらつら考えるうちに私は、冒頭の文章「…考える葦である」が決定的に破綻していることに思い当たったのである。パスカル以来400年、私以外の誰ひとりとしてこのことに気付かなかったのか!??もしかして、ボクって偉大? (しつこいだけや、というご意見が飛んできそうだな)。

 さてさて、どこがどう破綻しているのか、これから述べさせていただきましょう。世紀を超えた大発見、「パスカルはん、あんたはヘボだった」。

 まず、この文章では、葦はもろいし、弱いし、しかも考えないということが前提とされている。

 しかし、である。葦は、考えていないのか? 本当にそういえるのかな? そのことを証明するのは、絶対に誰にも不可能なことなのだ。

 私は宇宙の森羅万象すべてに魂は宿ると信じる正しい日本人であるから、葦は考えると断言する。ウルトラスーパーにアニミズムなのだ。生物というものはすべてその肉体と精神とで構成されている。植物とて例外ではない。むしろ、そういう構成であるということが、生物であることの本質だと言い換えてもいい。

 だから、葦は考えているのだ。人間とは違う形式で自然を観照し、宇宙を思うのだ。みんな、そのために生きているんじゃないか。

 そこでパスカルさん、もしも葦が考えているなら、葦は考える何やねん。考えるゾウリムシでっか? ほいなら考えるゾウリムシは何だんねん。考えるバクテりオファージT4でっか? じゃ、T4は考える何?という意味で無限後退の罠から出られない。

 いずれにもせよ、もしも葦が人間よりもずっともろいその身体で心に宇宙を映すのなら、人間よりもはるかに偉大なはずではないか。

 葦だって考えているかもしれない、ということを前提にすると、考える人間と考える葦は、論理的には等価な存在となる。そこから導かれる次の3行の意味をじっくり吟味してみてくださいませ。

■人間は、考える葦である。(これはパスカル)

■葦は、考える葦である。

■葦は、考える人間である。

 そして最後に導かれるのは、当たり前すぎの次の一行。

■人間は、考える人間である。(爆笑)

 つまりあのフレーズは、よく考えると何も述べていないことになる。ちょっと回り道したトートロジーだったのだ。いや、回り道すらしていないかも。

 あの一文が何かを述べていると思う人は、葦を軽ろんじることで人間を偉大だと思いたい、くだらん人間優先主義に染まっているのだ。そんなに自分が偉大だと思いたいなら、もっとデカイ存在と比較すればいいのにね。地球とか、紙、いや神とかさ。(注)

(注)葦→パピルス→紙→神 の連想ギャグに気付いてくだされえ~。

 せいいっぱい素直に解釈して、パスカルが本当に言いたかったことを推察すると、次のようなことだったと思われる。

「考えるのは人間だけである。だから宇宙より偉いのだ。」

 うむ。わからないでもないが、間抜けな論理だ。なにぶん、そのように断言する根拠が示されず、ただ気分だけで書いているから、説得力がない。子供の理屈以上のものではないよ。これを読んでありがたがっている人たちに聞いてみたい。読んでみて、本当にわかったの? わかったのなら、何がわかったの?

 些末な批判とは思っていただきたくない。パスカルという知識人の偏見、知的欠陥を、その本質において真正面から衝いているのだ。この一例でもって、パスカル及びその時代精神と対決し、私は勝利したのである。やったぜ、偉大なり。アッラー、アクバル!

 おいこらバカ猫、なんだよその軽蔑しきった目つきは。おまえ、私がうれしそうな顔をすると、すぐそうやって冷や水をあびせるんだから、嫌みなやつだよ。おまえごときにこの発見の偉大さがわかってたまるかって…、いや、わかるんだろうな、きっと。おまえだって考えているものな。

 と、ここまでで今回は終わろうと思っていたのだ。本来はそのつもりだったのだ。ところが、あまりにも面白すぎる一文が目についちゃったのである。ああ、止まらない。おいバカ猫、メシはもうちょっと待ってくれ。

 どんな文章かといいますとね、これですわ。

「もしもクレオパトラの鼻があと少し低かったら、世界の歴史は変わっていたであろう」(注1、2)

 超有名なこのフレーズ。…パスカルさんだったんですねえ。もう笑える笑える。これも、以前から何だかいかがわしいなあと思ってはいたんですよ。でもパスカルさんだったのかー。わかっちゃったらもう平気、徹底的にバカにしましょうね。

 クレオパトラといえば、かの大ローマ帝国の英雄カエサルをたぶらかし、カエサル亡き後は彼の後継者のアントニウスといい仲になり、ローマ帝国の大敵となって、最後は戦い破れ、自殺に追い込まれた人。

 エジプト女王クレオパトラ…。伝説のアレキサンドリア大図書館に学び博学にして十数カ国語に通じ、ローマからやってきた二人の大英雄を色気でとろかすだけでなく、外交をエジプトに有利に導き、そのうえモノにした2人のローマ人に、ローマ世界を超えた全世界征服の野望を植え付けちゃった女。

 カエサルもアントニウスも、クレオパトラに会うまではローマ世界の支配と安定しか望んでいなかったものと思われます。しかし、クレオパトラは超英雄アレキサンダーの一族の末裔。彼女のビジョンはもっとデカかったのだ。

 カエサルが彼女の案内でアレキサンダーの霊廟を訪れたとき、「世界征服…。わしがもっと若かったらなあ」と、涙をこぼしたといわれています(伝説ですけど)。カエサル55歳。カエサルがローマ皇帝の地位を望んで焦り、結果的に暗殺されたのも、てっとりばやく国内をまとめて、世界征服遠征に乗り出したかったのが動機じゃないかなあ。

 アントニウスも、今ではヘマな男とみなされていますが、実績を追っかけてみると大した人物。彼もやはり世界征服の野望を抱いちゃったんじゃないかなあ、クレオパトラに洗脳されて。

 女王クレオパトラ。まあ、美人でもあったんでしょう。しかし志の嵩さ、成り立ちが、ただの一般人とはまったく違う。この人はその一身を国家の運命とともに生きたのだ。こうした女性を評すのに、鼻の高さの少しくらい何の意味がありましょうか、パスカルさん。世の中に、鼻が高かろうが低かろうが、魅力的な女性はいるのですよ。

 顔かたちの問題じゃなくて、彼女はあの時代に生まれ、あの運命を受け容れ、人間として女王として女として、持てる武器を総動員してエジプトの主権を盤石なものにした。(一時的に終わったけど)。立派じゃありませんか。鼻の高低の問題と何か関係ありますか? 私は確信しますよ。クレオパトラの鼻がどうであろうと、彼女はあの歴史を背負って生きたであろうと。また、そんな女に惚れないような男は、そもそも英雄ではないのだと。もっと簡単にいうとですね、いい女は、顔なんか関係なくいい女なんだよ。あんた知らないの? というようなわけで。

 これほどの偉大な女性を、どーでもいい些末な数ミリに比較して、何かを言った気分になるとは笑止。あ、似てますね、些末なものとの比較といえば、

「考える葦である」(爆笑)。

 パスカルさんは、科学者としてはまじめな人だったんでしょうが、世の中を語る資格はありませんね。あまりにも偏見まみれ。つーか、いい女に惚れたことがないんとちゃうの。

 以上なことは、パスカルさんなんて大昔の人なので、時代の限界とかを考えると本当はどうでもいいことなんですが、この現代日本に「大哲学者パスカルいわく」とか書いちゃう知識人がいるんですよ。これが問題でね。その連中は、歴史を知らないし女を知らないし、何よりも常識を知らない。こんなアホ連中の言葉を、皆さま、よもや信じてはなりますまいぞ。

 ああ、バカ猫がにらんでいる。これ以上メシを待たせたら、私の身が危険だ。このへんにしておこう。ではまた。

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 後日、この話をとある美女にしてみたら、彼女は、何を当たり前のことをいってんのよという顔で頷き、こういった。

「パスカルって、ブ男よね」

 おのれっ。この私が数十行を費やした本質を、たった一言でいい当ててやがって。これだから女は怖い。ほんとにもう、猫以上に怖いかもしれない。

(注1)「もしもクレオパトラの鼻があと少し低かったら、大地の全表面は変わっていたであろう」というのが正しい訳。この場合、大地の全表面とは国家の勢力圏図と解釈され、「世界の歴史は…」と意訳されることが多い。

(注2)○○せんせいへ。「大地の表面は」というところ、「大地の顔は」とも訳せると聞いたんですが、ホンマですか? 要は、鼻と顔をひっかけた、シャレですか?パスやんたら、ちょっと気の利いたことをいってみたくて、考えなしにこんなことを書いて、ドツボにはまってはるんですか? だとしたら、笑。
 のような注を書いたら、後日○○せんせい(フランス文学の大学教授)からメールをいただいた。


=[猫哲学特別版:○○先生よりのお便り]============
こんばんは。○○です。
この間の猫哲学のパスカルネタはとても楽しく読みました。 よく翻訳から、あれだけ見抜きましたね。さすがです。 で、クレオパトラの鼻の話ですが、「世界の顔」がすなおで正解だと思います。 前後をひっつけて何か思想を読みとろうとしたりするから、妙な日本語訳になってしまうのです。 もちろんパスカルにも思想はあるでしょうが、パンセから読みとるものではありません。 それから、「人間は考える葦である」は「彼女はバラだ」のたぐいの思いつきでしょう。 「パスカルのパンセ」から「偉大な」思想など読みとってはいけない理由を書きます。

(1)パスカルに「パンセ」などという著作はなく、あるのは××篇「パスカルのパンセ」(フランス語では、penseesと複数になっていて「思いつき集」という意味)です。

(2)パスカルは何かネタを思いついたら、帳面とか、ちゃんとした紙ではなく、紙切れにそのネタを書いて置いていました。

(3)パスカルが死んだあと、遺族の人がパスカルの追悼にそれらを適当に取捨選択し並べて出版しました。タイトルは「パスカルのパンセ」つまり「パスカルの思いつき集」です。この版には「クレオパトラの鼻」の話はありません。遺族の人も、ちょっとこれは、と思ったのでしょう。

(4)もとのネタの紙切れがどこにいったのかは、しばらくわからなかったのですが、19世紀になって発見されて、編者がジグゾーパズルみたいに組み立てなおして、また違う並びの「パスカルの思いつき集」を出版しました。それ以降、色々な学者がそれなりの「パスカルの思いつき集」を出版するに至っています。

(5)一番流布しているのが、ブランシュヴィックという人のもので、日本語の翻訳もこれに基づいていると思われます。

パスカルが、この思いつきを書いた紙切れをどう使おうと思っていたのか、全くわかっていません。もちろんいろいろ推理はできますが...友人との楽しい会話のため?自分が属しているキリスト教のセクトを擁護する文章を書くため?などなど。ただ、草稿といったものでなく、思いつきを書いた紙のあつまりですので、いくつか別の著作のためのネタとして紙切れをキープしたとも考えられます。哲学書からお笑い本まで。 とにかく、いろんな大きさの紙に、雑に書いたような字があったり、比較的まともな字があったりさまざまです。排便をしながら、とか食事中に書いたりとかしたんでしょうね。 ときどき書いてある謎のウンコ印は、排便中に書いたという印かなと思ったりします(これは冗談)。 いま、この紙切れは私がよく夏に行っているフランスの図書館にあります。

http://expositions.bnf.fr/brouillons/grand/10.htm
にその紙切れの画像の見本があります。断片がなくならないよう別紙に張ったものです。
この話。お役に立てたなら幸いです。

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[上の文章は、約4年前に書いたものです。]
[original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com/
[mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]

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