2009年1月26日月曜日

【猫哲学65】 ババアの価値、あるいはバカ都知事。

 
       猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ┃

(2005/04/22)

 うちのバカ猫はろくでなしである。

 宿録で穀潰しで破落戸で無駄飯食いである。まったく何も生み出さないし、いかなる価値もない。社会にも宇宙にも何も貢献しない。資源を浪費するだけ。しかもバカである。

 猫はそうだが、私もほとんど同じである。いや、それ以上かな。なんたって無職のプータローである。社会にいっさい貢献していない。完璧なまでに非生産的である。こういうのは、害悪なのだそうだ。この惑星を簡単に滅ぼしてしまうほどの害悪なのだそうである。

 私が主張しているのではない。あの、元国会議員で直木賞作家で現東京都知事の石原慎太郎様がおっしゃっているのだから、これは正しいのである。裁判所だってそれを認めたのだ。何の話かって?

 大阪に住んでいる私たちはあまり関心のなかった話だけど、東京ではちょっとした話題になった。かの石原都知事様が、場所もあろうに都議会で次のようにおっしゃったのである。

「ババアは生殖能力もないのに生きているから、ムダであり社会の害悪であり、地球への負担である。さっさと死ね」

 これに怒った女性団体が裁判所に精神的被害を訴えて都知事を告訴したのだが、東京地裁はその訴えを退けた。かくして、ババアは早く死ぬのが美徳ということで、国民の同意は形成されたのである。あ、東京都民だけかな。

 だけどね、非生産的で消費だけして地球への負担というなら、私なんかもっとそうじゃないかな。いい年して独身で、大阪市内でも一等地に建つ3LDKの新築マンションを独占し、冷暖房使い放題、酒だって飲み放題なんだから、地球への負担という点では並のババアの5人分くらいはやっているはずだ。だから、そろそろ死なねばなるまい。

 …な~んてバカなことを、この私が思うわけがなかろう。石原なんて低脳の悪ガキがなにをいおうと、そんなもん、まともに受け取るわけがないのである。ただ、この一連のアホな騒ぎの顛末は、見過ごしてしまうにはおもしろすぎるので、ぜひさらし者にしてやろう。

 念のために書いておくけど、私は女性を蔑視する気持ちはいささかもない。下司で無教養でキチガイの石原野郎が「ババア」という言葉を使ったので、それを揶揄して引用しているだけである。私の周囲の年輩の女性たちはじつに素敵な人たちが多くて(見た目も、振る舞いも、才能も)、彼女たちこそ人類という種が生み出した宝石なのではないかと思っているのだよん。

 さて今回は、石原都知事の愚劣さと、女性の社会的価値に関する話題なのだが、いつもと違って事実関係を追っかける文章になるので、引用が多い『世の実★』風になります。でも、手抜きではないよ。

 さあみなさん、この平成日本の知的低水準ぶりを一緒に笑いましょうね。まずはニュースからの引用。

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■都知事「ババア」発言訴訟で女性団体の訴え退ける[テレビ朝日ウェブ]2005/02/24 14:58
「ババア」などの言葉で女性に差別的な発言をしたとして、女性団体が東京都の石原知事に損害賠償を求めた裁判で、女性の訴えを退ける判決が言い渡されました。

 石原知事は2001年、週刊誌のインタビューで、学者の言葉を引用しながら「文明がもたらした最もあしき有害なものはババアなんだそうだ」、「女性が生殖能力を失っても生きているというのは無駄で罪ですって」などと話しました。これについて、都内の主婦ら131人が精神的な苦痛を受けたとして、1400万円あまりの損害賠償と謝罪広告を求めていました。

 判決で、東京地裁は「知事としてではなく、個人の見解を述べたにすぎない」と指摘しました。そのうえで、「不適切な表現はあったが、深刻な苦痛を与えるものではない」などとして、女性らの訴えを退けました。

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 私はこの記事だけで腹をかかえて笑ってしまったけど、これだけなら世間にはよくある話。どんな政治家だって文化人だってこれくらいのヨタはしゃべっている。でもね、この話には、ニュースにならない裏話があって、これを暴露していくともっと笑える話になるのだ。

 上記のテレビ朝日ウェブ版の短い記事では、損害賠償が棄却されたことをもって、石原知事が全面勝訴したかのような印象だけど、判決文のうち最も重要な部分をバッサリ切り捨てて無視しているの。今回に限らず判決文で原告側の「主張」が大筋で認められても「損害賠償」は無しというケースはよくあることだけど、まあ、石原様に遠慮した偏向報道といってもしかたないでしょうなあ。

 ところが、次の朝日新聞ウェブ版の記事を読むと、判決の主旨がもう少し詳しく書かれていて、石原側の実質敗訴であるというように受けとれるのね。以下引用。

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■石原知事ババア発言、「憲法理念と相入れず」 東京地裁 [Asahi.com]2005/02/24 20:13

 石原慎太郎・東京都知事が雑誌のインタビューなどで女性に差別的な発言をしたことで名誉を傷つけられたとして、首都圏の女性131人が都知事を相手に慰謝料計約1400万円の支払いなどを求めた訴訟の判決が24日、東京地裁であった。河村吉晃裁判長は都知事の発言を「個人の尊重を定めた憲法の理念と相いれない」と批判する一方、「原告個々人の名誉が傷つけられたとは言えない」として請求を退けた。

 判決によると、石原都知事は「週刊女性」01年11月6日号のインタビューで「これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典(東大大学院教授)がいってるんだけど、文明がもたらしたもっともあしき有害なものはババアなんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは無駄で罪ですって」などと述べた。

 河村裁判長は「松井教授の説には、都知事の説明とは異なり、おばあさんに対する否定的な言及はみられない」と指摘。発言について「教授の話を紹介するような形をとっているが、個人の見解の表明」としたうえで、「女性の存在価値を生殖能力の面のみに着目して評価した」「多くの女性が不愉快になったことは容易に推測される」と述べた。

 慰謝料については「原告個々人に対する発言ではなく、原告らの社会的評価が低下するわけでもない。金銭をもって償う必要がある精神的苦痛が生じたと認めることはできない」として請求を退けた。

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「僕がいってるんじゃなくて、大学教授がいってる」なんてアンタ、自分でいってるくせに何をいうの石原さん。暴言をはくのに他人のせいにするなんて、姑息で卑怯で幼稚じゃないか。

 それに判決では「個人としての発言」なんて庇ってもらっているけどさ、その石原野郎は個人か公人かをめぐって、過去にどんな発言をしたか思い出しなさいって。

 あんた自身が、靖国参拝のときに記者の質問に答えて、「私人も公人もないだろう。そういう下らない仕分けをしないほうがいいよ」なんていってたくせによー。

 ところで、ひきあいに出されてしまった東大教授の松井孝典さんは、じつはそんなこと、ひとこともいっていない。この人は、種としての人類が、生殖のできない年齢に達した女性を温存したことは、その繁栄の要因になったのではないかといっているのだ。ボケ石原のいっていることの、まったく反対を論じているのだ。

 比較対照するために、まず石原発言の詳細を引用しておきます。

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【バカ発言1】

「週刊女性」2001年11月6日号「独占激白“石原慎太郎都知事吠える!”」より抜粋

「これは僕がいってるんじゃなくて松井孝典(東大教授)がいってるんだけど、“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ”なんだそうだ。“女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。

 まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね。」

【バカ発言2】

「都政新報」2001年10月26日号「石原知事 福祉の会議で“大脱線”」

 10月23日「少子社会と東京の福祉」会議での発言より抜粋

「この間すごい話をしたんだ、松井さんが。私は膝をたたいてその通りだと。女性がいるから言えないけど…。本質的に余剰なものは、つまり存在の使命を失ったものが、生命体、しかも人間であるということだけでいろんな消費を許され、収奪を許される。特に先進国にありうるわけだ。でね…、やっぱりやめようか(笑)。あれが実は地球の文明なるものの基本的な矛盾を表象している事例だな」

【バカ発言3】

「平成13年東京都議会会議録第16号、平成13年12月11日」より抜粋 (渡辺康信議員の代表質問への答弁の一部)

「そして他の動物、他の生命体とのかかわりの中で、人間が人間というものの存在を主張し過ぎたために、非常に横暴な存在になった。そして彼(引用者注:松井氏)が例を挙げたのは、ほとんどの動物は繁殖、種の保存ということのために生きて、それで死んでいくが、人間の場合にはそういう目的を達せない人でも、つまり、人間という尊厳の中で長生きをするということで、彼はかなり熾烈な言葉でいいまして、私はそのときに、なるほどなといいながら、しかし、それは政治家にはいえないから、あなたみたいな専門家じゃなきゃとてもいえませんなといって、そのときに慨嘆したんだ。(中略)私が思わずひざをたたいたゆえんの一つは、私の友人でもありました深沢七郎氏が書いた姥捨て山という、あの、要するに「楢山節考」という、年をとったそのおばあさんを、その部落の貧困のゆえに、あえて生きている人間を捨てに行くという、これは年をとった女の人が、他の動物の生存の仕方に比べれば、かなり横暴な存在であるという表現の、実は逆説的な一つの証左でありまして、私はいろんなことを思い合わせながら、その松井さんの話を非常に印象深く聞いたわけです。」

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 あ~、読み返すうちにまた腹が立ってきたぞ。
 
では次に、気の毒な松井孝典教授が、ほんとうはどんな主張をしているのかを読んでみてください。石原カス野郎とまるで逆さまだから。

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(一部略)

 農耕牧畜が一万年前に始まった理由は、ほかにもあるはずです。気候変動だけなら、それ以前にでもあったはずだからです。今生きている我々以外の、ほかの人類が農耕を始めてもいいわけです。しかし、実際に農耕を始めたのは我々現生人類だけです。したがって、我々の側にも何か理由があるはずです。その理由は二つ考えられます。一つは、現生人類が生物学的ない実でほかの人類や類人猿、哺乳動物と決定的に違う点です。それは「おばあさん」が存在するということです。
「おばあさん」とは、ここでは生殖年齢を過ぎたメスが生き延びている状態を表すことにします。哺乳動物でも、サルでも、類人猿でも、メスは子どもが産めなくなると、それから数年ぐらいで死んでしまいます。一方オスはいつまでも子どもをつくれる能力がある。したがって、おじいさんは存在します。自然の状態では、哺乳動物にも、サルにも、類人猿にも、おばあさんは存在しません。どういうわけか現世人類にだけ、おばあさんが存在するのです。

 おばあさんがいると何が違うか。一つはお産が安全になることです。加えて、娘が産んだ子どもの面倒をみたりする。このため、メス一個体当たりの出産数が増え、群れの個体数増加につながるわけです。人口増加です。

 人口増加が起こると、ある地域で生きられる人の数は決まっていますから、地域を移動するという圧力になり、新天地へ散っていきます。このため、現生人類は「出アフリカ」と呼ばれるような行動をとるわけです。十数万年前アフリカに誕生した現生人類が、人口増加にともなって世界中に散らばる。これが、我々が何故人類圏をつくって生きるようになったか、一つの理由です。

(NHK人間講座 2002年12月~1月 「宇宙からみる生命と文明」 63~64ページより) ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ね、まるで反対でしょ。要は、人類が強い種に発展したのは「おばあさん」がいたからだ、といっているわけ。これをどう曲解すると石原トンデモ発言になるんだか。そもそも読解力というものを持っているのかね、直木賞作家センセイ。

 とはいっても私は、松井教授を支持してるわけでもなんでもない。この教授もかなりおバカさんだと思う。農耕牧畜が一万年前に始まったと思い込んでいる点や、人類アフリカ紀元説を頭から信じている点など、そーとーにアタマの悪い教授じゃないかな。このへんのインチキ学説については、いずれ猫哲学で笑い飛ばしてやる予定です。

 しかも松井さん、こうやって「おばあさん」を持ち上げておいて、でも人類がこれ以上繁栄すると地球が壊れる、だから「おばあさん」は害悪である、などと後に主張している。論理がメチャクチャである。その点は石原バカと似たところがあるので、論旨は正反対なまま共感だけしちゃったのかもね。

 さて、石原だの松井だのというゴミ野郎はおいといて、真正面から考えてみよう。人類に本当に必要なのは、男か女か。

 幼児的マッチョの石原都知事は、男は80になっても90になっても生殖ができるから有用であるといっているが(苦笑)、人類を生存という観点から価値づけるならば、男は不必要なのである。

 生殖における男の存在価値は精子にしかないが、その精子は生殖に必ずしも必要なものではない。精子ではない別の刺激(電気とか薬品とか物理刺激とか)でも、卵子の分裂は起きるのだ。いきなり生物学になっちゃいましたけど、現代生物学では、卵子さえあれば精子がなくても子どもができるのは常識なのである。

 だから聖母マリアが非科学的だなんていう連中は、科学を知らないのだ。だいたい、歴史や伝説の類を会話するのに科学的なんて言葉を持ち出す連中は、ほとんど科学を知らないと思っていい。おっと脱線した。脱線ついでに、私はキリスト教徒ではないよ。異端カタリ派を自称しているけど。

 ええい、脱線がすぎるぞ。話を戻そう。

 というわけで、人類の生存のためには、男はいらないのである。地球上にはメスしかいない生物種なんていっぱいおるが、オスしかいない生物は存在しないのだ。知ってるか? 石原くん。

 もしもこの世に女しかいなくなっても、子どもはつくれるし子育てはできるし、社会は構成できる。男なんて本来いらないのだ。不必要なのは男なのである。ばーさんがいらないのではない。ばーさんの有用性は松井センセイが論証してしまった。理解できるかな? 石原くん。

 それならばなぜ、いったい男などという不要なものが存在するのだと疑問を抱かれるかもしれないが、それはXY染色体が交雑することによって生じる多様性が、生命にとって有用だからである。…というのは優等生の答えだな。実はXXの交雑でも多様性は生み出せる。それは男の有用性を証明するわけではないのだ。

 じゃあ、いったいなぜなんだ。なんで男なんてものがいるのだ。

 猫哲学者である私は、明快にお答えしよう。だって女しかいない地球なんて、おもしろくないじゃん。それが理由である。

 私は男であるから、男しかいなくて女のいない地球なんて、想像するだけでいやだ。ぞっとする。住みたくない。これを女の側からみても同じことだろう。女ばっかりじゃ、おもしろくない。だから男は必要なのだ。

 ほとんど冗談だと受け取られるかもしれないが、これは真実である。おもしろいかおもしろくないかが、宇宙を決めているのだ。なぜそういうことになっているのかというと、ちゃんと答えがあるのだが、紙幅が尽きた(便利な言葉だな)。それはまた別の機会に。

 最後に、ばーさんの社会的価値について教えてくれる、まじめなお話をご紹介して、この回を終わろう。

 中国から帰還した、ある復員軍人から聞いた話である。

 大東亜戦争が敗戦に終わったとき、この人は中国の南京にいた。無敵皇軍のクズ連中は早くから敗戦をかぎつけ、女こどもを置き去りにしてとっとと内地に逃げ帰ってしまったが、下っ端のヘータイには逃げ遅れた人もいた。

 日本軍の敗走に喜び沸き返る南京の街で、この人は群衆に捕まってしまった。日本軍は戦中、中国人を「チャンコロ」などと蔑んでひどい仕打ちをしていたから、現地住民から憎まれていた。その住民に捕まって広場に引きずり出されたら、次に何が起きるかはだいたい想像がつく。

 怒号と歓声に満たされた南京市街の広場。その真ん中に打ち据えられたこの日本人は、死を覚悟した。そのとき、腰も曲がって杖をついた中国人のばーさんが進み出てきて、大声でこういった。
「私の息子も、日本人に殺された。私は日本人が憎い。だけどこの男だって、自分の意志でここへ来たんじゃない。無理矢理に連れて来られたんだ。この男を、お母さんの下に帰してやりなさい」

 ものすごい言葉ではないか。私ごとき小人には想像もつかない。このばーさんの言葉は、若い女がいっても男がいっても、またじーさんがいっても説得力はない。このばーさんがいったから、力を持ったのだ。これがばーさんの価値というものである。

 人が生きるということは、このような美徳に出会って魂を高められるためにある。生殖能力なんぞが人間の価値であるわけがないのだ。平気でチャンコロだの三国人だの汚らわしい言葉をはき、家庭内で暴力をふるう石原みたいなクズには、永遠に理解できない真実であろう。

 私が石原ゴミ野郎をここまで悪し様にいうのは、じつはまったく別の理由があるのだが、ここでは触れまい。ではまた次回。

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 いつもの超美女とこんな話をしていたら、彼女はいつもの笑いを浮かべていった。

「かわいそうな男ね、都知事って」

「まったく。哀れを誘うよな」

「でもそういうのが、ちょっとかわいいのよね、女としては」

「けっ、またそれかよ。そうだ、頼むから石原に会いにいってくれないかな。きみを一目みたら、やつなんか即死だろう」

「あたしはそれほどヒマじゃないわよ」

 ということは、つまり…。こんな文章を書いている私は、よほどのヒマ人だということか。あ、またバカにされたんだ。くやしいかも。


[上の文章は、約4年前に書いたものです。]
[original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com
[mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]

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