2009年1月26日月曜日
【猫哲学67】 ゼロ戦への悪口。
猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ┃
(2005/06/20)
ネズミを獲らない猫。
いまどき、そんな猫はどこにでもいるな。あ、おまえの悪口を書きたいわけじゃないぞ、バカ猫。都会のマンション暮らしだと、ネズミなんかいないもんな。
しかし昔は、それが猫の存在理由だった時代がある。現在ではもう、違うけど。
存在理由なんかに関係なく、猫は猫である。人間の都合で勝手に定義なんかされちゃ迷惑だろう。な、バカ猫。
だが、人間の作ったものは違う。作られた目的こそがその存在理由である。だから、存在理由を失った存在は、無意味である。無意味であるのと同時に、笑える。例をあげてみよう。
温度を上げると壊れる温度計。んなもん、役に立たない。
風が吹くと壊れる風力計。ナンセンスもいいとこだ。
現実には上のようなものは存在しないが、では「地震が起きると壊れる地震計」、なんてのはどうかな。いかにもアホな話だが、しかしこれは実在した。しかも、この21世紀にである。まずは、この話からご紹介しよう。
1994年に阪神大震災が起きるまでは、地震の震度は6が最大とされてきた。それ以上に強い地震は、想定されていなかったのだ。いまから考えると、そうしたことを決めた地震学者のアホ面をながめてみたい気もするが、これは歴史の後知恵というやつになってしまう。なので、言葉を慎んでおこう。
でも阪神大震災は学者さんの想定以上に強い地震だったので、その教訓から、最大震度は7に上方修正された。私は、震度8だって9だって10だって起こり得ると思うが、学者さんは7までで満足らしい。以来政府官庁は震度7まで計測できる最新型の地震計をつくって、えらいお金をつぎ込んで日本各地に設置してきた。
ところがその地震計、先の新潟地震の震度7で揺れて、ぶっこわれてしまったのである。すごく笑えるでしょ。
なんでも、地震が起きたら衛星に電波を飛ばして、瞬時に震度のデータを東京の気象庁まで送るというような、超最新設計の地震計だったとか。それが地震で壊れたもんだから(爆笑)新潟地震は長いこと震度6の地震だと思われていた。震度7まで測れるけど、でも震度7で壊れる地震計だってさ。こういう機械を作った人のアタマの中身はどうなっているのかにゃ。ちょっと知りたいもんだ。
では次に、こんな話はどうだろう。急降下したら壊れる戦闘機。
そんなアホなとふつうは思うかもしれないが、このような飛行機は実在した。今回の本題、日本が誇るあの名高いゼロ戦が、実はそうなのであった。
また人に嫌われるようなことを書き始めてしまったぞ。ほんとうをいうと私だって、ゼロ戦は好きなのだ。悪口をいわれると、いい気はしない。でもね、日本人はこのことを知っておくべきだと思う。なので、書いちゃお。
ゼロ戦。正式名は零式(れいしき)艦上戦闘機。昭和14年に完成し日中戦争の後半と太平洋戦争の全期間、主力戦闘機として大活躍した…とされている。私はそうは思わないけど。
今回は軍事関係の話題なので、あまり面白くないかもしれない。でもこの話は、技術と日本人の精神に関わる話題としてお読みください。
で、このゼロ戦だけど、実際に太平洋戦争初期には大活躍した。だから名戦闘機の誉れ高い存在だけど、実は、急降下するとぶっ壊れるというヤワな機体なのであった。
ゼロ戦は軽快で運動性の良いことでは定評があるけど、その性能を得るために強度を犠牲にしたのだ。これがゼロ戦の欠陥で、最初から戦闘機としては落第だった。
このことは試作段階からわかっていて、試験飛行中に空中分解事故も起きているし、人も死んでいる。それでどういう対策をとったかというと、強度を高めるのではなくて「時速660キロを超える急降下はしない」と決めた。設計を改めるのではなくて使い方に制限をつけたのね。この地震計で震度7は計測してはいけませんよというのに、ちょっと似てるかも。
ちなみに、ゼロ戦よりも3年以上も前に開発されたドイツのメッサーシュミットBF109や英国のスピットファイアなんていう有名な戦闘機は、急降下で750キロを超えてもびくともしなかった。
こんな中途半端な飛行機がなぜ大活躍できたのかというと、それはすばらしい性能をもっていたからだと誰もが思っているのだけど、そうなのかな。
太平洋戦争が始まった時期、じつのところ日本は日中戦争の10年目に入っていた。戦時体制が整っていたのだ。太平洋戦争開始当初、快進撃できた理由は、実は米英側の準備ができていなかったからだ。ゼロ戦に対抗する戦闘機も、旧式のオンボロなものがほとんどだった。
それに何よりも重要なことは、開戦当初にゼロ戦に乗っていたパイロットたちは、日中戦争で実戦経験を何年も積んできたベテランがほとんどだったということ。対する米英側のパイロットは、実戦経験なんてまったく皆無の者ばかりだった。
つまり、腕利きの猛者が操るゼロ戦に、旧式のオンボロに乗ったヒヨッコが戦いを挑んだわけなので、そんなの始めから勝負は見えている。あたりまえのことがあたりまえに起きていたにすぎない。そんな程度のことを誇ってどうするよ。
むしろ私は、欠陥戦闘機ゼロ戦をみごとに操って、すごい戦いを勝ち抜いたベテランパイロットたちに賞賛を送りたい。偉いのはゼロ戦ではない。乗っていた人が偉かったのだ。
その証拠に、太平洋戦争も3年目にはいると、ゼロ戦はぜんぜん無敵ではなくなっていく。相手も慣れてくるし、経験を積んだパイロットだって多くなる。何よりもゼロ戦の弱点が知られてしまい、「不利になったら急降下で逃げちゃえ」と米軍当局が通達を出していた。急降下で逃げる相手を追いかけて急降下したらゼロ戦は壊れちゃうから、勝負にならない。そのうち米軍はもっと性能の良い新型機を戦場に送り込んできて、そうなったらゼロ戦はカモになった。
どれほどカモにされたか、その話をしてみようね。
1944年6月、歴史上空前絶後の大規模海戦、マリアナ沖海戦が行われた。マリアナ諸島(サイパンとかグアムとかの島々ね)を占領しよと考えたアメリカ軍は、超大規模艦隊をここに派遣したのである。じゃんじゃかじゃ~ん。
どんなにすごい規模の艦隊かというと、空母15隻、航空機約1000機、護衛する巡洋艦・駆逐艦の数がおよそ100隻、戦艦だって7隻もの数だった。ほよよ~、私は大好きなジャンルなんだけど、興味のない人にはしんどい文章かな。でも、しばらくがまんしてくださいね。
で、それを迎え撃つ大日本帝国海軍といえば、空母9隻、航空機482機、その他戦艦、巡洋艦、駆逐艦が47隻という陣容だった。
アメリカの半分かよ、と思われるかもしれないが、日本は同時にサイパン、グアム、テニアンなどの島々に陸上機を500機ほど展開していたから、航空戦力は互角だな。
こんなにすごい戦争を日本が過去にやっていたことなんて、ほとんどの人は知らないんだろうな。大日本帝国は偉大だったのだよ。偉大だったのは現場の国民で、指導部は腐っていたんだけどね。
さて、この世界海戦史上空前絶後のすげえドンパチはどんな結果に終わったかというとですね、日本側は空母機482機中損失426機、陸上機は全滅。対するアメリカの損害は飛行機17機(注)。たったそれだけ。日本の空母もでかいのが3隻撃沈されたけど、アメリカのは傷ひとつつかなかった。あ~あ、ボロ負けやがな。
(戦闘で失われた数。それ以外に、空母に降りるときに事故で壊れたのが80機以上ある)
アメリカのパイロットは、撃墜されても撃墜されてものこのこ飛んでくる日本機を鼻歌まじりでたたき落としながら、この戦いを「マリアナの七面鳥撃ち」と表現した。英語では「ターキー・シュート」ね。ちなみに、英語でターキーとは、アホの別名である。今はなき北新地の酒場「ワイルドターキー」OBの方々(私もそう)にとっては、切ないお話やね。
ちょっと脱線した。んで、その航空戦ではいろいろな種類の飛行機が戦ったのだけど、日本側の戦闘機はすべてゼロ戦だったのさ。ああ、惨め。
そんな次第でマリアナ諸島はアメリカに占領されてしまい、B29の出撃基地となって、やがて日本はズタボロにたたきのめされたのでありました。
過去の歴史を後知恵でどうのこうのといいたくはないけど、こんな戦闘機に乗せられて死んでいった若者たちのことを思うと、やっぱりなんだかねえ。パイロットといったって、ほとんどが20歳から23歳までの若者なんだからね。
こんなにも情けない戦闘機を設計した人の名前を堀越二郎という。戦後もゼロ戦の設計者としてけっこう有名人になった。本を書いたりもしている。そのこともべつにどうのこうのといいたくはないが、本の内容がねえ…。ちょこっと紹介するとこんな風である。
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「…、昭和15年9月13日の初陣で、13機の零戦11型が、長駆500カイリ、重慶上空で中国側のイ15およびイ16からなる27機を遠巻きに包囲して、1機も残さず撃墜、味方はかすり傷を負っただけという事実である。 相手が3~5年旧式の戦闘機であることと、パイロットの技量の差を考慮に入れても、このような例は、航空戦史上、他に類がないのではあるまいか。」
(光人社『続・最強兵器入門』17Pより引用…って、そんな本読むなって?)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
堀越さん、自慢していらっしゃいますよ。弱体中国軍の古い戦闘機※を新型機で不意打ちみたいにやっつけたことが、そんなに誇らしいことかね。ちなみにこの本では、マリアナ沖海戦でのボロ負けのことはひとことも触れていない。
(※引用中、イ15、16というのはソ連製の古い二流戦闘機。イ15なんて複葉機だし…)
私は思うのだ。堀越さんは確かにすぐれた設計者であったのだろうけど、でもご自身が作った飛行機がやがてカモになり、それに乗せられた多くの若者が死んでいった事実を思えば、もう少し慎ましい思いを持ってもいいのではないか。それともこの人、敗戦の歴史を知らないのだろうか。
この人がダメだなあと思うのは、技術者のくせして技術的な文章に関してもヘボいことである。またまた引用してみよう。以下は、第二次世界大戦で活躍した戦闘機の中で誰もが最優秀機と認めるノースアメリカンP51マスタングという機種と、自らが設計したゼロ戦とを比較した文章の中で語られている内容である。
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「…つまりマスタングは、機体構造に対して、発動機のしめる重量は軽かった。以上からみて、構造重量では、われわれの戦闘機は防弾を考慮にいれても、だいぶ軽くできていた。(中略)(マスタングは)外版を厚くして、ねじれに対する強度剛性を高め、急降下制限速度を高いところにおいていた。しかし、急降下制限速度を同一にまで高めたとしても、重量の点ではわれわれに若干、分があったと考えることができる。」
(光人社『最強兵器入門』120Pより引用)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
一読しただけでは、何を書いているのかわからないでしょうね。でもなんとなく自慢していることはわかるかな。
つまりね、私の言葉に翻訳して書いちゃうとこうだ。マスタングは頑丈につくってあったぶんだけ重くて、飛行機としてはもっと軽くできたはずだから、ゼロ戦の設計のほうが優れている。と主張しているわけ。
しかも「防弾を考慮にいれても」という言葉が悪辣で、マスタングは防弾がしっかりしていたので弾が当たってもなかなか墜ちなかったんだけど、ゼロ戦は防弾が皆無だったのですぐに撃墜されたのね。それを、ゼロ戦は軽くつくってあったから優秀だったといっているわけ。論理が狂っているぜ。
だいたいやね、P51マスタングは最高速度(水平飛行時)が時速705キロも出たのにゼロ戦はたったの540キロ。急降下制限速度というけど、マスタングは850キロを超えてもびくともしなかったのに、ゼロ戦は660キロ付近で空中分解したのだよ。まったくレベルの違う話なわけで、そもそも比較すること自体に意味がないやんけ。
こうした点を考えてもう一度、堀越さんの文章を読んでみてくださいな。ね、ホントにこれで東大を出た技術者といっていいのか?
太平洋戦争を戦った日本の高級軍人たちは、自己欺瞞まみれで現実をみていなくて手前勝手で我田引水で嘘つきでプライドだけは一流だったことは有名だけど、軍人だけでなく技術者もそうだったんだということを、みなさん認識しておいてね。
軍人は処罰されたけど、技術者は処罰されなかった。だから今でもゼロ戦なんていう二流の飛行機が伝説的な名戦闘機と誤解されたまま修正されることもなく語られたりする。
私だって、あのとき日本の運命を背負って戦ったゼロ戦には、ノスタルジーを感じている。ある意味では愛してもいる。だけど、そうした感情と機械としての出来はぜんぜん別のものだ。ここのところを分けて考えることのできない人が、ゼロ戦の悪口を聞いたら怒ったりする。でもはっきりというけど、そのような感情は、技術の阻害要因である。歴史認識の妨げにもなる。
もっというと、ゼロ戦への悪口を聞いて怒るような人は、それまでの人である。より深い認識へ到達することはできない。アホのままで止まるだけだ。そして、そのようなアホが多数を占める国は、もう衰退への道を走りはじめているといっていい。
今回、なぜ私がこんなに古くさい話をしているのかというと、これはものすごく現代的な物語だからだ。堀越二郎先生はね、三菱重工の技術者だったのさ。戦後、三菱の飛行機部門は飛行機を造ることを禁じられたから、商売のために自動車を作った。そうやって、今の三菱自動車ができた。
その三菱自動車がどのような技術的伝統を持ち、どのような経営感覚でどのようなクルマを造ってきたのか。それは堀越さんとゼロ戦を思い出せば想像がつく。欠陥があることを知りながら人命よりも商売を優先させて、何人もの人を殺して平気でいたことが、最近になってバレたよな。マスコミは今頃になってびっくりした顔をしているが、もともとがそういう会社なんだよ。
堀越技師の愛弟子で、助手となって一緒にゼロ戦を設計した曽根さんという技師がいた。この人は戦後、三菱自動車の初代社長になりましたとさ。ああよかったね。めでたしめでたし。
私は、曽根さんの人間性についてどうのこうのというつもりはない。そうではなくて、三菱財閥、自動車工業界、ひいては経済界というのがどのように成り立っているのかを知ってもらいたかっただけである。どぞうぞ誤解なきよう。
でもまあ、経済界がこんな調子なんだから、言論家や歴史家は萎縮するよな。今になってもゼロ戦や堀越さんをまともな感覚で語る人がいないのは、ある意味で当然なのかもしれない。いやいや、このあたりのことに触れはじめると長くなるので、また別の機会にお話しましょう。
最後にひとこと。
英国で開発されて1937年12月に初飛行した戦闘機に、グロスターF5/34というのがありましてね、こんなものマニアでもほとんど知らないだろうけど、写真を見るとゼロ戦によく似てるの。あー、ほんとに似てる。そっくりポンポコ。大きさも性能もほとんど同じ。いやいや、妙な偶然もあったもんですねえ堀越さん。ちなみにゼロ戦の初飛行はグロスターF5/34より1年3ヶ月遅れの1939年3月のことであった。
あ、あの~、これってもしかしてパク…、いや、これ以上書いたら、殺されるかもしれんにゃ。
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「男の子って、メカが好きねー」
いつもの超美女は、皮肉っぽく笑いながらいった。
「あんなにごちゃごちゃしたもの、なんで好きなの? ちっともきれいじゃないしさ」
「ふん、ほっといてくれ」
「女はもっと単純よ」
「そうか? わけがわからんのはそっちのほうだと思うが」
「それは男がバカだからよ」
「勝手にゆーとれ」
「でもさあ、バカな男ほどメカが好きよね。違う?」
「むむっ!! そっ、それは、…もしかすると真理かも…」
「ほらね。教えてあげたんだから、食事をごちそうしなさい」
こんな会話をしているかぎり、世の中は平和なんだけどな。
[上の文章は、約4年前に書いたものです。]
[original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com]
[mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]
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