2009年1月25日日曜日

【猫哲学24】 猫国家論。

 
       猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ┃



 国家には、2種類の人間がいる。奉仕する者と、奉仕される者と。

 わが家を国家にたとえると、住民は私と猫だけであるから、奉仕する者が私。奉仕される側がバカ猫ということになる。

 国民を二分する形式は他にもあって、支配する者と支配される者、とというのもある。

 またまたわが家を国家にたとえると、支配する者は私で、支配されるのは者は猫だろうか。どうも違うような気がする。私が、猫に支配されているのではないかな? だってヤツときたら気まぐれにメシを要求するだけ。あとはぐーたら寝ているばかりなのだから、私の側が支配者なんてどう考えてもいえないではないか。

 さらにもうひとつ、税金を取る側と、税金を取られる側に分ける考え方もある。

 私はバカ猫から税金などもらったことは一度もないから、私が猫に税金を払っているのか? どうもそんな気がする。こいつが病気をしたら病院にも連れて行かねばならないが、これがけっこう高いのだ。保険がきかないし。その他にも、猫草を買ってやったり何やらかんやら、いつも金を使わされるのは私なのである。

 あ~、だんだん腹が立ってきたな。国家と国民をどんな形で定義してみても、私は常に猫の奴隷なのだ。ちくしょう、いったいどうなってるんだよ。おい、なんとかいってみろこのバカ猫。

 えっ!? 何? ああ、メシか。はいはい。

 えーと。あ、さて、国家なのである。国家とは何か。これほど目の前に自明に見えていながら語ろうとするとやりにくいものはない。やりにくいのは当然で、国家とは嘘のかたまりだからなのだ。

 突然に何をむちゃくちゃいうのかって? いやいや、実は当たり前のことなのだ。あなたが気付いていないだけだ。

 たとえば、民主主義と多数決。

 多数決が正しいものであるならば、世の中には庶民が圧倒的に多いのであるから、庶民が損をする政策などあり得ないはずではないか。だが現実には政治家とつるんだ汚職土建企業家ばかりが儲かって、その失政のつけは庶民の税金で穴埋めされるのだ。国鉄、道路公団、住宅公団、関空、年金政策、ついでに銀行。何もかもボロボロの借金まみれではないか。

 なぜこのような現実が起きてしまうのだろうか。その答えは、実は簡単だ。民主主義とは、つまり民主主義ではないからである。

 ある国である勢力が支配権を握ろうとしたとする。そのためには、その勢力は全体の51%をおさえればよい。残りの49%は無視してもいいのだ。これが民主主義の本質である。

 ところでその51%にしたところで、さまざまな利害で結びついた集団でしかないから、その勢力を支配しようと思うなら、過半数の26%を支配すればよい。後は欲と数の論理で勝手についてくる。

 さて、その26%を完全に支配するためには、そのすべてを引きつけておく必要はない。半数の13%をコントロールすれば足りる。さて、その13%を支配するためには…。(今回は白鳥座はやめとこ)。

 おわかりいただけただろうか。これが自民党派閥政治という名の、少数による多数支配の現実なのである。庶民のことなんて考えてくれないわけさ。彼らは身近な勢力の支配ということだけが目的なので、移ろいゆく世の中の変化など目に入らない。日本が破滅しかかっているのに、そんなことには目もくれないのだ。

 とはいうものの、そんなごまかしも限界にきているのも事実で、いずれ急速に破綻するだろう。そのときに国民を巻き添えにしてくれなければ幸いなのだが、多分、私たち庶民が犠牲になるんだろうな。というわけで、つまり民主主義というのは、嘘なのである。

 議会というものも嘘である。「公約を破るのは大したことではない」という首相が政権の座についているのだから。政治家なんて連中は約束したことを守る気などさらさらないのだ。なので、国会では多数の意志など無視されることになる。

 古い話になるが、かつて消費税導入が争点となった衆議院選挙があった。そのとき自民党代議士の大半は、選挙区で「消費税に反対します」と演説してようやく当選したのだが、当選直後の国会では消費税導入に賛成しやがった。政治家のいうことなんて、ぜんぶ嘘だと思ったほうがいい。

 ついでに憲法というのも嘘である。日本国憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…」とあるが、諸国民は平和を愛してもいないし、公正も信義もありゃしない。ただの利害得失があるだけだじゃないか。こんな嘘を前文に書いているのだから、それ以下の憲法全文は嘘のかたまりということになる。

「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼する」のが本当なら、自衛隊なんてなくてよい。個人の家にたとえるなら、夜中でも扉の鍵をかけずに開けっ放しにして、「ドロボーさんや強盗さんの公正と信義に信頼して」ぐっすり寝ればいいだろう。でもこんなこと、誰だって信じちゃいないのだ。

 例によって脱線するけど、むかし右翼の大物に笹川良一という人がいて、モーターボート競争をやってる船舶振興会のCMに出ていた。覚えてる? あの人、『世界は一家、人類はみな兄弟』とテレビで叫んでいたけど、BGMでは『戸締まり用心火の用心』って歌っていたよ。見事なまでに嘘と本音のパラレル出し。私はおかしさのあまり腰をぬかして笑い転げたけど、なに、日本国憲法も同レベルだってことだ。

 プラトンという人は、人間のこんなどうしようもない性を2500年も前から見通していたようだ。彼はその『国家論』で、政治というものは聖者と賢者だけでやんなさい。俗人は政治になんか参加しないでよろしい、というようなことを書いた。いわゆる哲人政治の考え方である。

 私は、そういうのが好きだなあ。政治家には、何よりもまずモラルとビジョンと哲学を持っていただきたいし、特別にそういう面ですぐれた人しか(つまり私のような、笑)そもそも政治などやってはいけないと思うのだ。

 ところが世の評論家たちには、このプラトンの哲人政治、評判がいっこうによろしくない。現実的でないというのだ。

 彼らいわく、人間は弱いものだ、すぐれた人物というのは金にも女にもだらしないのが当たり前、庶民は不可避的にバカでヒステリー。だから、プラトンの説は机上の空論以上の何ものでもない、とかなんとか。

 しかしねえ、そんな言説をききながら私はつくづく思うのだ。評論家子よ、あなたはどうなのだ。もしもあなた自身が政治に関与すれば、あっというまに、女にも金にも、でへらでへらと手を出すようなやつになるわけか? ということはこの人、自分の下劣な品性を基準にものごとを論じているだけではないのか?

 プラトンが語ろうとしたのは、理想だった。しかし理想が一方で語られていなければ、現実のあれこれを論議することなど、不毛ではないのかね。だから、「あれは理想だからできない」という人は、永遠に現実の泥沼をさまよっていなさい。こんな人がマスコミに多すぎるから、プラトンはいつまでたっても誤解されたままなんだね。

 もうひとつ頭にくるのは、こういう輩は庶民をバカだと信じきっていることだ。私は庶民の一人として断言するが、庶民とは賢く、美しい人たちだ(阪神大震災のお話をご参考に)。庶民がヒステリックになるのは、政治家が彼らを騙して、損害を押しつけたとき以外にない。政治家が庶民を裏切るような仕打ちをするから、ときとして庶民は怒るのだ。原因と結果をとりちがえてはいけない。

 ああ、社会がプラトンのめざしたようなものであれば、毎日どんなに心静かに、哲学のことなど考えながら過ごしていられるだろうか。だが理想は理想。誰一人としてそれに向かって努力する気がなければ、理想など実現しようはずもない。

 さて、国家とはそもそも何だろうか。いや、そんなことを論じ始めたら、歴史やら民族やら法律やら、小難しいことをいっぱい語らなければならなくなるからやめておこう。猫哲学なのだ。しんどいことはせんのである。

 だけど一言だけいっておきたい。日本に暮らす人ならばたいてい誰でも、その人なりの国家観があることは間違いないだろう。だが、それらの国家観は百人百様、ぜんぶ異なっているはずだ。なんでそんなことがいえるのかって? それはこの国が、その歴史においてかつて一度も、国家とは何かを定義したことがないからである。

 国家とは何か、それを明確に定義されては困る人がいる。支配者である。あるときは国民が国家であるといい、あるときは天皇といい、あるときは議会だ憲法だといって逃げておけば、何か都合の悪いことが起きたときにとても便利なのだ。誰も責任をとらなくていいのだから。それどころか、何の力もない民衆に責任をとらさせるのに、ものすごく都合がよい。先の大戦でも、民衆は「天皇陛下万歳」と叫んで従容と死んでいったが、戦後、天皇は「あれは国民が勝手にやったことだ」といって逃げ回った。支配者とはそんなものだ。

 そのうち衆議院議員選挙が始まるが、国会議員どもの悪相をよく見ておかれるとよい。人間は、のべつまくなし嘘ばかりついていると、顔の形が変わってしまうのだが、どう変わるのかというと、あの議員センセイのようになるのだ。

 最後にもう一度、はっきりいっておこう。国家とは、嘘である。政治も嘘である。民主主義も嘘、議会も嘘、法律も嘘。何もかも嘘だらけで成り立っている。それが国家なのだ。

 しかしよく考えてみると、本来、国家に正しさなどいらないのだ。秩序のために必要なのは力と支配だけなのだ。だから国家は、これからも私を騙し続けることだろう。

 へへんだ、騙されるもんか。なあ、バカ猫。

 「にゃ」

 そうだよな、猫を騙すことなんて、誰にもできないものな。お互いがんばろうな。

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 後日、とある超美女とそんな話をしていたら、こういわれた。

「そこがあなたの欠点なのよ。正しかろうが嘘だろうが、それが世の中ってもんじゃない。正しいことの片方しか受け容れられないあなたは、世界の半分しかみえていないってことよ。」

 うおー、ちくしょう、いきなり哲学的になりやがって。しかも、正論じゃないか! 反論できない! くくっ、負けた。くやしい…。酒を飲んで寝よう。


[上の文章は、約4年前に書いたものです。]
[original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com
[mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]

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