2009年1月26日月曜日

【猫哲学53】 理論で空が飛べるかよ。

 
       猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ┃

(2004/11/05)

 猫は高いところが好きである。

 うちのバカ猫は、いつも食卓に飛び乗ろうとする。私が「このバカもの!」といってぶっとばすのでひかえているようだが、私が留守のときはときどき乗っているようだ。食卓に置いているものの位置が変わっていたり、猫の毛があったりする。

 食卓以外では、椅子の背というのも好きらしい。ときどき飛び乗ってみては、周りをみまわしている。幅2センチもない狭いところなのに、器用なもんだ。でも、ときどき足をすべらして落ちたりするのも、愛嬌というやつかな。

 高いところといえば、テレビの上というのもお気に入りである。私は贅沢にもプラズマディスプレイを壁かけテレビにして観ているのだが、そのてっぺんにも乗って寝ようとする。幅は狭いし、テレビの熱もあるし、音もうるさいだろうにと思うのだが、ぜんぜん平気のようである。私がせっかく高画質で映画を観ようというのにもー、その尻尾がじゃまなんだよ、このバカ。

 ところでいま流行りの薄型テレビだが、猫を飼っている方はあれを床に置いて観るのは危険である。あんなに薄くて不安定な形状のものの上に、猫が飛び乗ったらどうなると思う?

 私の古くからの知り合いの女性は、やはり猫を飼っているのだが、彼女も大枚はたいて夢のプラズマ大型テレビを買った。テレビが来たその初日、猫くんはテレビの上に飛び乗ったのである。あ、あ、あ、倒れるううっっ! がっしゃーん…。

 憧れの超高級テレビは、彼女が映画の一本も観ないうちに壊滅したのであった。ン十万円がパーである。やはりプラズマテレビは壁掛けにすべきだ。

 ことほどさように、猫は高いところが好きなのだよ。恐ろしいことである。みなさん、気をつけましょうね。

 さて、猫はそれほどまでに高いところが好きなんだから、空を飛びたいなんて思うのだろうか。空を飛ぼうなどと考える動物は人間だけだと思う人も多いようだが、いやいや鳥だって昆虫だって空を飛ぶ。ネズミが空を飛ぼうとしたらコウモリになるし、リスが空を飛ぼうとしたらモモンガになったわけだから、猫だってきっと空を飛んでみたいだろうなと私は思う。確かめる方法はないが。

 ところでいきなり話は飛ぶが、飛行機がなんで飛ぶか知ってる?

 ものの本には「飛行機はベルヌーイの定理によって飛んでいる」と書いてある。ベルヌーイ? なんじゃそりゃ。

 その説明はだいたいにおいて次のようなものである。

「飛行機の翼は底面が平らで、上面はカマボコみたいに盛り上がっている。そのため、翼の下面を流れる気流よりも、上面を流れる気流が速度が速くなる。気流の速度が速くなると、ベルヌーイの定理に従って、気圧が下がる。こうして翼の上面と下面では気圧差ができ、気圧の低い上方に翼が押し上げられる。これを揚力といい、この力で飛行機は浮くようになっている」。

 図を書いて説明したらそれなりにもっともらしいのだが、猫哲学ではテキストしか使用しないので、これだけ読んでもぜんぜんわからないだろうな。しかもこの説明、ヘンなのだ。

 要は翼が平面でないから揚力が生じるといっているのだが、おいおい紙ヒコーキの翼はたんなる平面だぞ。それに飛行場でジェット旅客機が離陸するのをみているとわかるが、かなり急激な角度で上昇していく。そのときの翼は上を向いていて、水平飛行と同じような気流を受けているようにはみえない。

 だいいち、ライト兄弟が飛ばした人類最初の飛行機の翼はただの曲がった平面で、下面は平らではなかったよ。そのときの気流と現代の飛行機の翼の気流がおなじようなもんだとはとても思えない。

 もっと決定的なことをいってやろう。

 翼の上面に向かって揚力が生じるのなら、飛行機がひっくりかえれば揚力は下向きに働くはずだよな。ということは、背面飛行なんてぜったいに不可能じゃないか。飛行機が普通の姿勢で飛んでいるときには揚力と重力はつりあっているわけだから、背面になれば重力の倍の力が下向きに働くということだ。こりゃすごいや、石よりも急速に落下するぞ。旅客機は背面姿勢など必要ないからべつにいいかもしれんが、戦闘機はどうする。そんな戦闘機をつくったら、戦争に負けるよ。

 ところがじっさいには、たいがいの飛行機は背面飛行ができるのである。ひっくりかえっても揚力が働いているなら、その力の源は翼の上下の形の差でないことは明らかだ。

 どういうことかいな。私は ??? のかたまりになってしまった。そうだ、こういうときは実験だ。ベルヌーイの定理の実験など、カンタンなのだ。厚紙とハサミとセロテープがあればできてしまう。

 まず厚紙(といっても私の場合はスーパーで売ってる『鳥肌の立つチキンカレー(注)』というレトルトカレーのパッケージ)、こいつをハサミで切って、2枚の長方形をつくる。一枚が片方よりも二割ていど長くする。次に互いの両端をセロテープで張る。長い方の厚紙は盛り上がって翼の上面みたいになる。ここまでで一分とかからない。

(注:この冗談のようなカレーは実在する。うちの近所のスーパーで売っているよ)。

 できあがった翼の模型を扇風機の前に持っていって、強風にさらす。揚力というものがあるのなら、持ち上がる力を感じるはずだ。

 ところがである。ちっともそんな力を感じないのだ。むしろ下に押し下げられるような感じだ。おいおい、ベルヌーイの定理って、ほんとかよ。

 私はどうにも納得できなくて、ベルヌーイについて調べてみた。

 ベルヌーイさんというのは学者家系のようで、その名前の学者が12人もいることがわかった。そのなかで問題のベルヌーイさんはかなり末代のほうで、流体力学を完成させた人だそうだ。この人のお父さんとその兄というのはおもしろい人で、両方とも数学者で、派手な兄弟げんかを数学理論で終生やらかしたらしい。このへんの話もぜひしたいのだけど、今回はパス。

 で、問題のベルヌーイさんは流体の圧力と速度についての数学的な理論を完成させた。18世紀のことである。おいおい、まだ飛行機は飛んでいないぞ。

 その理論というのは、「非圧縮性で粘性のない理想流体」が太い管と細い管を流れるときの速度と圧力の関係を数式にしたものだ。つまり、水のような流体が水道管を流れるときの力学だな。

 あれえ?

 たしかに空気も流体だが、「非圧縮性で粘性のない」流体か? 非圧縮性じゃないことはたしかだ。空気は、押されれば縮む。それに飛行機の翼は水道管のような閉鎖系ではない。めいっぱい大空いっぱい解放された開放系だ。だいいち、ベルヌーイは飛行機の翼についての定理を書けるはずがない。彼が死んでから100年以上年たって飛行機は誕生したのだ。

 なんじゃこりゃあ。いったいどこがどうなって、こんなことになってしまっているのだろうか。「ベルヌーイの定理にしたがって飛行機は飛んでいる」だと?

 じつは、この件に関しては21世紀初頭に、つまり数年前だが、かなりな論争があったらしい。そこで専門家の中には「飛行機はベルヌーイの定理に関係なく飛んでいる。あれはまちがいだ」という人も現れた。その論争については、猫哲学ではふれないでおく。インターネットでは以下のURLで論争についてふれているので、興味のある方はのぞいてみられたらよいと思う。

http://www.sanwaprn.co.jp/taruta/paperplane/Bernoulli.htmlhttp://www.sanwaprn.co.jp/taruta/paperplane/Bernoulli-1.htmlhttp://www.sanwaprn.co.jp/taruta/paperplane/Bernoulli-2.htmlhttp://www002.upp.so-net.ne.jp/a-cubed/bernoulli/experiments.html

 ここでのテーマは、科学への誤解についてである。

 科学の定理に従ってものごとは動いていると勘違いしている人は数多い。むかし私の兄は「科学的に証明されたこと以外は信じない」といって私を唖然とさせた。「科学と現象、どちらが先にあったの?」と聞き返せばたちどころに崩壊するような言明だが、世の中、こんな人のほうが圧倒的に多いにちがいない。

 以前にも書いたが、「天体はニュートンの法則に従って動いている」と考える人も多い。というか、そう考えないほうが変人かな。

 でもそれは、間違っているのである。天体は天体のつごうで勝手に動いているのであって、あの方たち(=天体さん)はニュートンの名前すら聞いたことがないことは確実である。今後、もっと観測手段が精密になり、いろいろなデータが集まってくれば、ニュートンの法則は修正を余儀なくされるであろう。このことは、けっしてニュートンの業績の価値を貶めるものではない。自然とは、つまりそういうものなのだ。

(※ここでアインシュタインの名を持ち出す人も多いかもしれないが、猫哲学においてはこの人をペテン
師と決めつけているので、まったく論外である)。

 おっと、いきなり結論にいってしまった。もう少し、科学の誤解ってやつの話を続けよう。

 ロケットはなぜ飛ぶのか。教科書によれば、燃焼ガスというエネルギーを後方に噴射するので、その反作用の結果として飛んでいるという。この説明には異論はない(正しいとも思っていないが)。

 問題は、そのときに反作用の説明として持ち出される例である。その例というのが、おかしいのだ。

=[反作用を説明する例]=================
 スケーターが氷の上に立っている。(これが摩擦ゼロの条件における静止状態ということの代表例とみなされているようだ)。そのスケーターは、手にセーターを持っている。スケーターは、そのセーターを後方に放り投げる。すると、スケーターは前に動く。セーターという質量を後方に放り出したので、その反作用としてスケーターは前進するのである。
============================

 さて、この説明はちょっとヘンである。もしもスケーターがセーターを持っていなかったとするね。で、彼または彼女はセーターを投げる真似だけをして、腕を動かしてみたとする。するとどうなるか。やはり彼または彼女は前進するのである。嘘だと思ったら、実験してみなさいって。私はやってみたよ。

 後方に投げた質量がゼロでも前進するということは、質量がゼロのものが反作用を生み出すことになる。これは力学的にヘンである。

 じつはこのことは、身体を動かしたときに発生する重心の移動ということで簡単に説明がつく。力学がヘンなのではない。セーターをわざわざ持ち出すという、例の立て方がヘンなのである。おそらく、この例を思いついた人は、一度も実験をしたことがないに違いない。理論を信じるあまりに、空想だけで例を書いて、ドツボにはまっていらっしゃるのだ。

 飛行機に「ベルヌーイの定理」を持ち出した人も、これと同じうっかりをしたに違いない。「おお、ベルヌーイで説明できるじゃん、だから飛行機は飛ぶのさ」なんて感じかな。この人は、本物の飛行機を観察するとか、紙ヒコーキをつくってみるとかしなかった、要するに飛行機を愛していなかった人ではないだろうか。

 さて、このへんからが哲学である。今回は、科学とはいったいどういうものかについての考察なのだ。
 科学とは、天才の思いつきではない。なにかをこうすればこうなる、という経験や知識がまず先にあって、それをどう解釈したらうまく説明できるかという、説明の体系が科学なのである。

 だから飛行機というのは、ベルヌーイの定理のおかげで飛んでいるのではない。まず飛行機をつくった人々がいて、こういう翼をつくったらよく飛ぶという経験の蓄積があって、それを説明するのにベルヌーイの定理が便利で役に立ったということにすぎない。経験が先にあって、科学はあとからとってつけられるのだ。断じてこの逆ではない。飛行機が飛んだから、飛行機についての力学ができたのだ。飛行機についての力学が飛行機が飛ぶ前からあったのなら、私はもう少し科学を尊重するのだけどね。

 飛行機の歴史でいうと、ライト兄弟が初めて飛行機をつくったわけではない。飛行機をつくった人は、あの当時にたくさんいた。その前にもいたけど。それらの人々のなかで、ライト兄弟がつくったものがはじめてうまく飛んだということなのだ。飛ばなかった多くの飛行機のなかにも、よく考えられていた部分はあった。ライト兄弟がそれらの経験を知らなかったわけではない。むしろ、他の人たちの失敗からも多くのことを学びながら、ライト兄弟は飛行を成功させたのだ。

 現代の飛行機だって、この経験の蓄積に上に立っている。だから新型機が旧型とまったく違う形にはならない。少しずつ形を変えながら、飛行機は進化してきた。新しい翼の形がつくられるときには、まず小さな模型をつくり、しまいには実物大の模型を製作して風洞実験でその特性が確かめられる。だからジャンボジェットを実用化している現代の風洞実験施設は300メートルに達する巨大なものである。そこまでして事前にデータを集めても、実物大の飛行機をつくって飛ばしてみたら意外なことが起きるのがふつうなのだ。

 つくってみないと、ほんとうのことはわからない。これが現代に至っても技術の基本である。発明や発見や開発においては、試行錯誤の量がすべてを解決していく。科学が万能でなく主役でもないのは明らかなのだ。

 飛行機のような物理工学の世界だけでなく、化学でも生物学でも同じようなことが起きている。むしろ現代のほうが、新しいことを発見するのに多くの人手と予算を必要とする。ある意味で、膨大な予算と
人海戦術をもってしなければ、新しい発見はできないようになりつつある。スーパーカミオカンデの、あの大げさな施設を見なはれ。それにヒトDNA解読プロジェクトの膨大な予算とか。

 一人の天才が自宅の実験室で新発見をなしとげた18世紀とは、もう違うのだ。私はそういう昔の科学者をほんとうに心から尊敬するが、それと同じ尊敬をいまの科学者たちが受ける資格があるなどとは、考えたこともない。

 さてところで、いったいなぜ飛行機は飛ぶのだろうか。じつは、私はよくわからないのだ。

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「じゃあ飛行機って、なんで落ちるの?」

 いつもの超美女は、またまたややこしいことをいう。

「このオレに、重力とはなにかについて、話をさせたいのか?」

「ちがうわよ。鈍感ねえ」

 といいつつ、ふだんよりも瞳がキラキラしている。あっ、この目は…

「腹がへったからメシをくわせろいうのか」

「わかったんなら、さっさと行こ」

「きみに食事をおごりたい男なんて、なんぼでもおるじゃろ」

「あたしはね、『有機野菜の上新粉ピザ包み』が食べたいのよ」

「なるほど、あれはいつもの店でしか食えないもんな。それにしても、きみの科学的疑問とは胃袋に直
結しておるのか。これだから女ってやつは…」

「あのね、あなたの話につきあって、そのうえ食事にまでつきあってくれる人なんて、あたし以外にいるっての?」

「うぐぐ…」

「感謝しなさい。さあ、今日はどんなワインを飲んでやろうかな」

 この女、酒も強いのである。嗚呼…。


[上の文章は、約4年前に書いたものです。]
[original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com
[mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]

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