2009年1月27日火曜日

【猫哲学70】 臓器商売。

 
       猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ┃

(2005/07/01)

 うちのバカ猫を外に出さないのには、わけがある。

 マンションがペット飼育禁止なので、猫がいるのがバレではまずいという事情もあるが、それとは別にもっと大きな理由があるのだ。

 あやしい猫獲りのおっちゃんに誘拐されないようにと、用心してのことなのである。

 あやしい猫獲りのおっちゃんなど、現代日本に存在するのかと疑問を持たれる方も多いと思うが、確かに彼らは存在する。この世に猫を必要とする連中が存在し、そいつらが金を払う限り、猫獲りのおっちゃんが絶えることもない。

 どこにそんなニーズとマーケットがあるのかというと、実験動物としての猫である。大学の研究室だとか製薬メーカーの実験室だとか。そのあたりで常に猫のニーズは実在する。ここへ猫を持っていけば、1万円前後で買ってもらえるのだ。ただし、一般の人がそんなところへ猫を売ると、動物愛護団体からクレームがきて大騒ぎになるから、専門の業者からしか買わないことになっている。その専門業者というのが、猫獲りのおっちゃんである。

 で、そのあやしい猫獲りのおっちゃんだが、彼らはノラ猫なんかは狙わない。まずだいいち、ノラというやつは警戒心が麻痺していないから捕まえるのだってたいへんだし、苦労して捕まえたとしても暴れるひっかく噛みつくなどあらゆる抵抗をする。それにノミだっているし変な伝染病に罹っている確率も高く、実験動物としては不都合このうえない。

 そこで猫獲りのおっちゃんが狙うのは、散歩途中の飼い猫である。飼い猫は警戒心も薄く、おとなしくて暴れないし、ノミだってほとんどいない。マタタビなんかでおびきよせれば、簡単に捕獲できる。そういう散歩猫は、郊外の閑静な住宅街にはけっこうたくさんいたりするのである。

 そんなわけで、大学の研究室にいる実験猫は、妙にゴージャスなペルシャやヒマラヤンやアメショーなどが多いといわれている。

 私はべつにバカ猫の運命がどうなろうと気にしないが、さりとて猫獲りのおっちゃんを儲けさせてやるのも気が悪い。というわけでうちのバカ猫は、マンション猫としての一生を送る運命なのである。

 まあ猫の場合はそれでいいとして、人間にも同じようなことがあったら、いやだろうな。ところが私らごとき凡人の、のんきな願望とはかかわりなく、人間にだっておなじようなことは起きているのである。おお怖い。

 いくらなんでも実験用に人間を誘拐するなんてことが起きているという話は聞いたことがないが(私が知らないだけかもしれない)、臓器目的の人身売買、殺人、臓器泥棒はなんぼでも起きている。

 英国の病院で、盲腸の手術で入院した人が、目が覚めてみたら腎臓が片っぽなくなっていたという話は有名だ。

 ブラジルでは毎年平均40000人の子どもが行方不明になっているが、ほとんどが臓器目当てだろうといわれている。昔は奴隷にして働かせていたのだが、それではとりあえず食い物を与えたり住む場所を確保したりとか手間がかかる。殺してバラして売ったほうが手軽だし儲かるのだ。

 もう少しディープな話をすると、米国での臓器提供者は貧民が多くてね、黒人がほとんどなのさ。それでは気持ち悪いと考える白人野郎が多くいて、白人の子供の臓器は貴重なのだ。ああ、気分が悪くなってきたぞ。

 さらにディープな話をするとね、アメリカでは医療費が高くて、救急車で病院に運ばれても、貧乏人は治療を拒否されて追い返されるの。でもドナーカードに署名したら、治療してもらえるのさ。そんな次第で、臓器提供者には貧乏人の有色人種が多いわけ。だけど移植手術を受けられる側は金持ちだけだから、有色人種のレシピエントなんてめったにいないよね。だけど白人は黒人の臓器が嫌いときているから、そんな臓器を目当てにわざわざ渡米する日本人が多くいて、なんというかその…、いや、この話はここまでにしとこ。

 話を本筋に戻そう。

 フィリピンでは臓器目的の人身売買が横行している。買い手は日本人である。くそ、恥さらしもいいとこだな。

 むかしジャンボ鶴田というプロレスラーが(以下、あまりにも怖い話になるので、数行掲載自粛…)






 いまや死体なんていくらだって手に入るイラクでは、イラク人の臓器が公然と売買されている。米兵のなかには、業者に頼まれて臓器ほしさにイラク市民を殺してまわるやつがいるという。それも部隊単位でね。移植用臓器は、殺したての新鮮なやつほど高く売れるから、対テロ戦争というのもおいしいビジネスだね。

 かくのごとくして、完全に確立され成熟した臓器マーケットを背景として、日本でも臓器移植法が成立しているわけだ。なあにが「命のリレー」だ「愛の行為」だ。人間のあらゆる愚かな行為のなかでも、サイテーに醜悪でいかがわしい営みじゃねえのか。

 臓器移植問題について私が書きたいことは、ここまででやっと20分の1程度である。もっと詳しいことは【世の実★】でやります。今回はこのへんでやめとくにゃ。

 でも、脳死移植に賛成している方からの反論がぜひ読みたい。そのためもあって、今回はわざと反感を買うような文章にしました。脳死移植推進論者さん、どうぞよろしく。

 ところで話は変わるけど、韓国のテレビドラマで『夏の香り』という名作がありましてね、(『冬ソナ』よりもずっと美しい)、このドラマのなかでは、ヒロインが二度も心臓移植を受けるのだ。痛あ…。

 本来ならこんな気色の悪い物語なんか軽蔑して観ない私なのに、でも主演女優のソン・イェジンちゃんが美人で清楚でかーいくて…

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「誰よ、ソン・ナントカ、って」

 私の話を聞いていた例の超美女が、いきなり口をはさんだ。

「だから韓国の若手女優でさ…」

「あなたって、すっごいミーハーだったのねー。信じられない」

「おいこら、私は人間性と生命についての深刻な話をしておるというのに、きみはそんな枝葉にだけ反応するのかよ」

「ふん、どうせたいしたことない女よ」

「はあ? 美女というと自分が最高だと思っているのか?」

「違うわよ。あたし以上の人なんていくらでもいるでしょ。でもね、あたしはあたし。この世でたったひとりだもんね」

「わかりやすくいうと、女は顔じゃない、中身だといいたいのか」

「そ」

「きみみたいな美人がそれをいうと、すごくイヤミなんだがな」

「なんでよ」

「あのな、世の中には、美人でなくて中身もない女だっているだろ。そいつらの立つ瀬がないじゃないか」

「解体して売り飛ばしなさい、そんなの」

「あああっ! 話はそこへつながってくるのか!」

「あなたね、そんな女の臓器なんて、ほしい?」

「死んでもごめんだね」

「でしょ。ふつうの神経ならそんなゲテモノ、オエーッ! よ」

「うわー、臓器移植とゲテモノ食いを、いっしょにするか」

「どこが違うの」

「…いっしょだな、原理的には」

「他人の臓器なんてほしがる人はね、想像力ってものが欠如してんのよ」

「どひゃあああ」

「美人の臓器なら、ほしい?」

「いらん」

「そういうことよ」

「そういうことだな」

「やっとわかった?」

 なんだか、いつのまにか結論が出てしまった。いったいどういう論理展開なんだ。ほんとにもう、これだから女は恐ろしい。


[上の文章は、約4年前に書いたものです。]
[original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com
[mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]

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