2009年1月27日火曜日
【猫哲学86】 猫的宇宙。
猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ┃
(2006/01/27)
猫の瞳の中には宇宙がある。
いきなりこんなことを書くとヘンに思われるかもしれないけど、べつに私がバカ猫に恋をしているわけではないし、ましてやこの駄猫の瞳をじっと見つめているわけでもない。原理的にそうだという話をしているだけである。
なぜそんなことになるのかという説明をこれから語っていくので、まあ読んでみてくださいな。
私は、これまでに何度も「私はもうひとつの宇宙である」と書いてきた。べつに私が偉いと主張しているのではない。誰だってそうなのだ。あなたも、もうひとつの宇宙である。気付いていましたか?
私がもうひとつの宇宙であるというのには、ふたつの側面がある。心と身体である。どちらも宇宙なのだ。
まずは身体の話からいってみよう。
私は表皮と筋肉、骨と内蔵と血液等の体液などからできている。それらはよく観察すると、細胞で構成されている。細胞とは、水と種々の蛋白質やミネラルからできている。
蛋白質とは有機物である。炭素と窒素と酸素と水素が複雑にからまりあったものすごく大きな構造をしているものもある。単純なものもあるけど。
さて、炭素も窒素も酸素も水素も原子である。原子は原子核と電子とでできているらしい。現代物理学が直接に観察できるのはここまでである。
ところで原子核というのは、陽子と中性子と中間子とでできているらしい。このあたりからは間接的な観測と理論が先行していて、実際に現物を見た人はいない。見る手段がそもそも存在しないのだ。
でも理論によれば、陽子や中性子は素粒子というものでできているらしくて、ハドロンやらレプトンやらボソンやらいろいろと種類があるという。んで、ハドロンその他が何でできているかというと、クオークというものからできているんだと。
そこで私は激しく問わずにはいられない。じゃ、クオークはいったい何でできているんだ、と。
ほんでいつの日か、クオークを構成する要素が見つかったとしよう。それを仮にホニャララと名付けたとしよう。そのとき私はまたもや問いかけるであろう。そのホニャララとやらは、いったい何でできているんだ、と。
意地悪を言っているのではない。知りたいのだ。そして私は確信してもいる。この問いには終わりがないのだと。
そして、ここんところが最も重要なのだが、人間を構成する細胞の数は銀河の星の数よりも多いのである。そして、たった一個の細胞を構成する原子の数は、全宇宙の星の数よりも多いのである。
すごいでしょう。肉体とは、宇宙よりも膨大なのだ。
物質的な話はこのへんでおいといて、心の話をしてみよう。
心には様々な階層があって、いま私が私だと感じているこの私のことを意識という。顕在意識と呼ばれることもある。その奥に、前意識という意識されない意識がある。
前意識には意識に昇ってこない記憶や経験が蓄積されている。
人間の頭の中にはものすごい量の記憶が蓄積されていて、普段は思い出せないけど退行催眠などを使えば思い出せるという話は以前にも書いたから繰り返さない。ここでは感覚と経験がおっそろしいほど多くの情報量から成り立っていることについて指摘しておきたいと思う。そういう経験の総体を前意識という。
私たちはふだん何気なく日常の風景を見ているけど、本当はそのすべてを見ているのだということにはなかなか気付かない。たとえば私が森の中を歩いていたとする。そのとき私の目は、一本一本の木々どころかそれらがつけている葉っぱのすべてを見ているのだ。私だけではない。あなたもそうだし、みんなそうなのだ。
ただ、それらをすべて意識して処理していたら、脳のキャパがオーバーするから、適当に必要なものだけを選んで意識上で処理している。それ以外はぜんぶ前意識がアンダーグラウンド処理している。そうしないと、とても日常生活なんてできないからね。
選んで処理すると書いたけど、何を選択するかについては個人差がある。同じ森の中を歩いても、花の好きな人は花を見つけてしまうし、虫の好きな人はあっというまにカミキリ虫を発見してしてしまう。しかしそれらは顕在意識のレベルでの差であって、前意識はすべてを見ているのである。
ちょっとしたたとえ話をしてみよう。
私の住むマンションには広くて大きな窓があって、窓からは向かいのでかいマンションが見えている。ある日、その窓を考え事をしながら見るともなく見ていた。そのときに、何となく目を閉じたのね。
昼間だったから光が強くて、閉じた瞼の裏には残像がくっきり焼き付いていた。年をとってくると網膜の細胞も弱っているとみえて、残像はいつまでも残っていた。目を閉じたままその残像を観察して驚いた。残像には、お向かいのマンションの各階ベランダ、窓の数までしっかりと焼き付いていたのである。そのときに初めて、自分が見ていたマンションの階数と窓の数に気が付いたのである。目を開けているときには意識さえしなかったのに。
これはあくまで比喩であるので、これが前意識そのものというわけではない。ただ、私たちは日常でいったいどれほどの情報を受け取っているかを感覚的にわかってもらいたいと思うのだ。そして前意識は、それらすべてを覚えているのである。
さて、その膨大な前意識ですべて終わりかというとそうではない。さらにその奥に無意識というやつが隠れている。前意識と無意識の差というのは、前意識は思い出せるけど無意識は認識できないということの差である。
無意識もまた、表面の意識などからはとても把握できない膨大なものである。無意識というのは生命そのものと関係しているから、生命とは何かがわからないかぎり把握など不可能である。そして生命とは何かなんて人間にわかるはずもないのである。だって私たちは、自分自身のたった一個の細胞さえもコントロールできないでしょうが。
んじゃ、無意識で終わりかというと、どうもそうではないらしい。ユングはそのさらに下層に集合的無意識というものがあると説いた。集合的無意識でもって、全人類は結ばれているというのである。
ユングの言うことが本当かどうかは知らないけど、そんなものがあっても不思議ではないと私も思っている。ただひとつ確かなことは、心というものはどこまで掘り下げても認識し得ないということである。そもそも認識できる構造になっていないのだ。
かなり昔の話だけど、宇宙に果てなどないと書いたことがある。同じことが、自分自身についても起きているのだ。私は極大のものを知り得ないし、極小のものも知り得ない。そして極小から極大へ、また極大から極小へと向かうこの宇宙の一点に、私はそれを観察する目として立っている。物質的なことであれ観念的なことであれ、私はそれらの単なる観察者なのである。しかもその観察者である私の心は、私の認識を超えた大きさと深さを持っている。
あのウィトゲンシュタインが「私は境界である」と語ったのはこのことなのだ。
目を開ければそこには宇宙があり、目を閉じればそこにも私という宇宙がある。これって、けっこうすごいというか、ものすごく面白いことだと思うんだけど。違います?
では、今回は重要なお話だったので、おさらい。
=私という宇宙の階層構造=
私(顕在意識)
前意識
無意識(→集合的無意識?)
生命
肉体
細胞
分子
原子
素粒子
そこから先はわっかりましぇーん。
(注)フロイトは意識(=自我)の上に超自我があると説いたけど、あくまで説明モデルであって、生命的実在とは思えないので、ここでは無視することにします。
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「あたしの瞳の中にも宇宙があるのよ」
例の超美女がいきなりそんなことを言うので、私はかなりビビッてしまった。
「見てみたい?」
「いやだ。それで何人の男を殺したんだよ」
「ちょっと見なさいよ」
「まだ死にたくない。つーか、そんな死に方はごめんだ」
「見なさいってば、ほら」
「やめてくれー、顔を近づけるな」
「どりゃあ、必殺キラキラビーム!」
「○△×!…」
以下、記述不能…
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【おまけ】
今回のはちょと短いのでおまけをつけておきます。
だいぶ前のことだけど、超美女の正体について書こうとして途中で終わっていましたよね。あれの後半をお届けします。ここに、ついに明らかになる彼女の正体とは…。
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【猫哲学超々々特別編】
■美女のヒミツ2(後半)
彼女の視線にヤラれる男が数多くいるのは、まあしょうがないといえばしょうがない。でもそれって、命がけなんだってことに気付いたほうがいいよ。
彼女が瞳をきらりと輝かせて微妙な微笑みを浮かべると、たいていの男は背中がゾクっとするらしい。そして男どもは、彼女の虜になってしまうのである。気の毒に。
たしかに私だって、あの瞳でみつめられるとかなり痺れる。しかしそのとき私が感じているのは、恐怖である。命の危険を覚えているのだ。
そんな大げさなって?
違う違う。本当に怖いのだ。フツーの男どもはそれを恋と勘違いするようだが、私は感情を論理的に整理するという希有な能力をもっているので、変な錯覚はしない。彼女は恐ろしい女なのである。
まず、わかりやすいところから話そう。彼女は凶暴な女なのだ。
気にくわないことがあったりムカつくような男がいたりしたら、平手で張り飛ばす。大の男が文字通り、2メートルばかりぶっ飛ばされるのだ。
こんちくしょうこの女、などと思って反撃しようとしてはいけない。彼女は柔道4段、空手5段、合気道などは免許皆伝の腕だ。逆らったらズタボロにされる。あの細腕のいったいどこにそんな力があるのか、まったく想像もできない。
「力なんていらないわ。スピードとちょっとしたタイミングよ」
彼女は涼しい顔をして言うが、生まれてこのかた人を殴ったことなど一度もない平和主義者の私には、永遠に到達しえない境地であろう。
でもなあ、その彼女に「一度でいいから殴られてみたい」などとアホなことをぬかす男が、私の知るだけで数十人はいるのだから、まったくもってなんというか。命が惜しくないのだろうか。世の中というのは、つくづく私の想像の及ばないことも多いなあ。
だが彼女の凶暴さは、その程度ではすまない。
じつは彼女、武器の扱いまで心得ているのだ。SW44マグナムなどというぶっそうな銃を軽々と撃つし、ライフルを持たせたらゴルゴ13なみのスナイパーらしい。M16やAK47なんていう機関銃を40秒以内にバラして組み立てるのも朝飯前だともいう。なんでも、自衛隊に入隊していたのだとか。
「ちょっと戦車砲をぶっ放してみたくてさ」
こんな女が入隊などしたら、オトコ世界の自衛隊なんぞあっという間に崩壊するんじゃないか。私はガラにもなく真剣に日本の防衛問題を心配したが、やっぱり2年もたたないうちに追い出されたそうだ。そうだろうよ、ああほっとした。
「それで、戦車砲は撃てたのか」
「ダメだった。機械化連隊は男の縄張りでさ。自信はあったのにな」
基地外に刃物というが、この女に戦車なんか持たせたらあかん。自衛隊も一応の良識は持っていたのだな。少し見直した。
「じゃあ2年も、何を訓練していたんだ?」
「うふふ、ヒミツ」
あ、この笑いだ。これが恐怖なのだ。かかわらないでおこうっと。
「それにしても、そんな女がなんで広告業界なんかにいるんだよ」
「だって、目立たなくていいもん」
「なるほど。木を隠すなら森に、というやつか。モデルやタレントがごろごろしているギョーカイなら、少しは目立たないかもな」
「そういうこと」
「でも、やっぱりわからん」
「なにが」
「一般に世の中というものはだな、目立たないより目立つほうがトクをすることが多いもんだろ。なのに、なぜ目立たないことを選ぶ?」
「目立たないほうがトクをする生き方だってあるわよ」
「そういうのは犯罪者とかスパイとか…」
「あたしが犯罪者に見える?」
「見えん。きみに犯罪などする必要があるとは思えん」
「もちろん」
「ということは…」
「ウフフ」
「このあいだ旅行だとか言って中東へ行ってたよな。あれはたしかレバノンの首相が暗殺されたときで…」
「あまり詮索しないほうがいいかもよ」
彼女はいきなりマジな顔になって私をにらみつけた。
ぞくっ。これ以上は考えない考えない。場合によっては命が危ないもんな。いやべつに命なんて惜しくはないが、こんなことにかかわって痛い目にあうのはごめんだ。
私は猫と同様、平和主義者なのである。(終わり)
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[上の文章は、約4年前に書いたものです。][original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com][mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]
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