2009年1月28日水曜日

【猫哲学93】 猫特攻。

 
       猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ┃

(2006/03/24)

 うちのバカ猫は、ときどき特攻をして自爆する。

 わが家のリビングの隅には、よくワインが送られてきた宅急便の段ボールの空き箱がころがっているのだが、バカ猫は何が気に入ったのかその空き箱に頭突きをかまして遊ぶのである。

 でもたまに、ワインがそのまま箱に入っていることがある。私がセラーに移すのを忘れるからだが、そういう場合、バカ猫の自爆となる。ゴンッいう音がして、身体ごと跳ね返されるのだ。ワインって、数本まとまるとけっこう重いのよね。

 そんなときバカ猫は、非難するような目つきで私を睨む。

 おいおい、自分のせいだろうが。私はべつに特攻せよなどと命令していないぞ。おまえが勝手にやったんだ。私は、日本海軍の参謀ほど無責任でもバカでもないんだからな。

 神風特別攻撃隊のような悲劇を語るのに、こんな枕を持ってくる私という男は、ずいぶん無神経な野郎なんだろうな。しかし、いかに悲劇であろうと、愚行は愚行である。このあたりのことをちゃんと整理して話したを人を、私は寡聞にして知らない。だから私がやってやる。このままだと、日本人はまたもや同じ事をくりかえそうとするかもしれないしね。

 映画『男たちの大和』なんかが公開されて、またぞろ戦争を美化する風潮が強まっている。どのようにごまかそうと、あれは戦争賛美の映画である。油断してはいけませんぜ、みなさん。

 というわけで、今回は戦争の話である。神風特別攻撃隊の話なのである。興味のない方も多いだろうけど、たまにはつきあってちょうだい。

 まず、特攻についての歴史的事実を暴露する前に、ちょっと本質的で哲学的なことを書いておきたい。

 死は、何の役にも立たないのだ。もちろん戦争の役にも立たない。

 死とは概念である。死には質量もエネルギーも何にもない。こんなものを敵艦にぶつけても、敵艦は傷ひとつつかない。

 だから特攻についてよく言われる「死とひきかえに戦果を得る」という言葉など、カテゴリー・エラー以外の何ものでもない。だいいち、死とは何か、本当は誰も知らないのだ。ここで「死」をわざわざ持ち出すこと自体、愚行の本質を悲愴美でお化粧して国民を騙す詐欺なのだ。この文章を終わりまで読まれれば、そこんことは明瞭にわかるようにはずだ。

 あ、さてさて。特攻というのは、日本の敗戦が明らかになっちゃった昭和19年、フィリピンに押し寄せてきた米上陸軍に対して、戦力がやせ細ってしまった日本軍が、せめてちょっとだけでも抵抗してみようとして発案されたものだ。

 フィリピン海域を制圧している米海軍空母機動部隊の空母群に飛行機を体当たりさせて、飛行甲板を使用不能にし、たとえ一時的にでも制空権を挽回して局面を有利にしようというものだった。

 そもそもの初めは、敵空母の飛行甲板を傷つけるという具体的な目標をもった作戦だった。まだしも最初は、現実を見ようとしていたのだ。

 もしもあのときに、自動操縦装置とかジャイロコントローラーとかレーザーポインターなんかがあればよかったのにね。そんなものはもちろんないから、てっとりばやく人間を使った。つまり特攻とは、乏しい戦力で爆弾の命中精度を高めるための現実的な戦術としての選択肢のひとつだった。ただし飛行機を体当たりさせれば、パイロットは死ぬ。だから死とは、そういう戦術をとったときに嫌でも付随するおまけの現象でしかない。

 特攻において死とは、目的でも手段でもなかったのだ。当初はね。

 このことは、いくら強調してもし過ぎることはない。だが情けないことに、一度こういう戦術が行われてしまうと、死はそれ自体が目的になっていった。パイロットを殺すことが軍の至上命題となり、それにともなうはずの戦術的な目的などどうでもよくなっていったのだ。

 しつこいけど、もう一度書く。特攻において、死は当初の目的ではなかった。しかし後になると、死そのものを目的として作戦命令が出された。特攻による戦果などどうでもよくなり、特攻のための特攻が。死のための死が、死を捧げるための作戦が行われた。死を捧げることが美的で崇高な目的にされた。これこそが、日本人が永遠に恥じるべき愚行である。

 では、そのような悲劇的愚行へと至る歴史をみていこう。

 特攻の発案者は海軍第一航空艦隊司令長官だった大西滝次郎中将だとされている。

 だが、作戦名及び部隊編成は、軍令部作戦課の源田実中佐が昭和19年10月13日に起案し、作戦部長の中沢祐少将が作成している。

 ちなみにこの二人は、特攻の責任をすべて大西滝次郎におしつけて、戦後をのうのうと生き抜いた。源田実は国会議員にもなっている。

 大西滝次郎がすべての責任を引き受けて割腹自殺したというのに。

 では、最前線で作戦を指導した大西滝次郎は、いったいどのようなことを考えていたのか。こんな作戦の外道が少しでも勝利に結びつく可能性があると思っていたのか。

 当時、特攻隊員としてダバオへ派遣され、大西滝次郎の下に出撃命令を待っていた角田和男氏の文章から、大西の発言を引用する。

=角田和男著『修羅の翼』より引用=============

『これは、九分九厘成功の見込みはない、これが成功すると思うほど大西は馬鹿ではない。では何故見込みのないのにこのような強行をするのか、ここに信じてよいことが二つある。

 一つは万世一系仁慈をもって国を統治され給う天皇陛下は、このことを聞かれたならば、必ず戦争を止めろ、と仰せられるであろうこと。

 二つはその結果が仮に、いかなる形の講和になろうとも、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実と、これをお聞きになって陛下御自らの御仁心によって戦さを止めさせられたという歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に必ずや日本民族は再興するであろう、ということである。』
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 大西滝次郎は、作戦の成功を信じていなかったのである。無駄死にとわかったうえで、若者たちを戦場に送ったのだ。送ったというよりも、遺棄したに等しいのではないか。

 大西滝次郎は軍人である。引用の後半にある、「天皇が戦争を止めてくれるだろう」だとか、「遠い将来に必ず日本は甦るから、いま死ぬことに意味がある」などと軍人が言ってはいけない。あんたは歴史家か、予言者なのか。くだらない願望や妄想など、目の前の戦争には何の意味もないだろうが。戦争は現実の物理的力のぶつかりあいだ。それを指導する軍人たるものが、何の成算もなくただ情緒だけを肥大させて戦争以外のことなど語るな。死んでいく若者がかわいそうじゃないか。何だと思っていやがるんだバカタレ。と、私はちょっと怒ってしまったのでありました。

 いずれにもせよ大西滝次郎は、特攻までやったんだから天皇は戦争を止めてくれるだろうと信じていたらしい。ものすごいスカタンな判断である。あきれかえるほど脳天気である。クズ天がどんなやつか知らなかったのか。まあ、当時の思想的限界かな。しかたないのか。でも、とことんなさけないぞ。

 さあてさて、その一方、我らが愛すべきおちゃめなアンチヒーロー、昭和天クズゴミ野郎ヒロヒトは、フィリピンで海軍機が特攻したという報告を受けて、どうしたか。戦争を止めようとしたのか。違うのだよ。喜んじゃったのだねえ、これが。

「そのようにまでせねばならなかったか。しかし良くやった」

 この発言が有名だが、もう少し正確を期するために、吉橋戎三著『侍従武官日記』から引用しよう。
 昭和天皇は昭和19年10月25日に及川軍令部総長から特攻隊の戦果報告を受けた時、このように反応した。

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「体当リ機ノコトヲ申上タル処 御上ハ思ワス 最敬礼ヲ遊ハサレ 電気ニ打タレタル如キ感激ヲ覚ユ 尚戦果ヲ申上ケタルニ 『ヨクヤツタナア』ト御嘉賞遊サル 日々宏無辺ノ御聖徳ヲ拝シ 忠誠心愈々募ル」
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 なんとまあ、喜色満面ではないか。大西さん、気の毒だったねえ。天コロには、戦争を止める気などなかったのだよ。あなたの青くさい論理願望は、この時点で完全破綻しているぜ。なのに、これ以降も特攻の指揮なんてよくもできたもんだ。

 ところでまた一方では、皇居方面から「よくやった、よくやった」の大合唱が聞こえてくると、平気ではいられない人たちがいた。陸軍である。

 最初の特攻は海軍航空隊によって行われたのだが、あれだけ大元帥様が喜んでおられるとなると、陸軍だってやりたいな。やって誉められたいな。海軍に出し抜かれるのは嫌だなあ。僕たちだって飛行機は持っているもんね~、てなもんである。

 フィリピンの陸軍航空司令部には富永恭二中将というおっさんが派遣された。この男、特攻パイロット一人一人の手をとって涙を流し、「よろしく死んできてくれ、私も最後の一機となって必ず君たちの後を追うからねー」なんて調子のいいことを言ってた。

 だというのにこやつ、特攻機の最後の一機が発進した直後に、自分だけ連絡機に乗って台湾まで逃げ帰った。やるもんだねー、富永恭二。わかりやすいおっちゃんだわ。この男は戦後も生き延びて天寿を全うしましたとさ。

 特攻というのは当初、敵空母の飛行甲板を一時的に使用できなくするという現実的な目的があったことは、先に書いた通りだ。ところがこの頃になると、「とにかく飛んで、死んでこい。目標は何でもいいから」という話になっていく。

 制空権が敵に支配されているものだから、偵察機なんぞ飛ばせられない。敵のどんな戦力がどこにいるのかもわからない。だけど中央(東京大本営)からは、ノルマみたいに今日も特攻を出せ出せ出せと言ってくる。参謀たちは、作戦のことなどもうどうでもよくなり、とにかく「死んでこい」と言って若者たちを送り出した。

 だけど、飛行機による攻撃といったって、そんなに簡単なものじゃないのだ。運が悪くて敵を発見できない場合もある。天候不良で飛ぶことを諦めなければならないこともある。飛行機がエンストすることもある(これは意外に多かったそうだ)。そうした理由で引き返してきた特攻パイロットたちを、参謀たちは怒鳴りつけた。いくじなし、卑怯者と叱責し、密室に閉じこめ、翌朝にはまた「死んでこい」と命令して飛行機に乗せた。

 むちゃくちゃである。人間の心をまるで考えていない。死の覚悟なんて、そう何度も何度もできるものではない。妻子のあるパイロットだっていたのだ。陸軍将校たちの人を人とも思わない幼稚なサディストぶりを、私たちはちゃんと覚えておくべきだと思う。日本人というのは、そういう性根を持った民族なのだ。ああ、恥ずかしい。でも、今でも警察官や裁判官にこういう連中はなんぼでもおるよ。

 話はまだまだエスカレートする。某東京大学の教授様は、「戦闘機に250キロ爆弾をつんで体当たりすれば、戦艦でも一撃で沈む」という理屈を複雑な数式を書いて発表し、ますますバカな風潮をあおった。

 この東大のセンせーの発言に対して、現場のある陸軍飛行隊長はこのように反論している。
「飛行機というものは、できるだけ軽く作るために極限まで強度を減らしている。戦艦にぶつけても、石壁に卵を投げつけるようなもので、相手は平気だ」

 さて読者のみなさんよ。東大の曲学阿世教授と、現場の飛行隊長と、いったいどちらの言葉に説得力がありますか。というか、現実がそれを示している。特攻機の体当たりで沈んだ戦艦や空母など、ただの一隻もないのだ。

 もうちょっと詳しくマニアックに書いちゃうと、沖縄戦では英国の空母イラストリアス(27000t)が飛行甲板に特攻機の直撃を受けたことがある。混乱と小さな火災があったが、その二時間後、イラストリアスは通常の作戦行動が可能だった。その程度のもんである。悲惨だけど。

(※注)貨物船を改造した護送空母(実質は飛行機運搬船)が撃沈されたことはある。これをもって、いまだに「空母撃沈・大戦果」などと書いているアホな本が多いから、誤解なきよう。

 フィリピン戦で最初に編成された神風攻撃隊は、24機だった。ところが戦争が沖縄にまで達すると、特攻機は数千機のオーダーにまで拡大されていった。まるで麻薬をやり過ぎて、完全に中毒になっちまったみたいなもんだ。麻薬なら個人の問題ですむが、この場合は人の命を参謀の自己満足トリップの材料に使ったんだからな。情けなくて、怒りがこみあげるのをどうしようもない。

 昭和の汚物、天ゴミ脳ヒロヒトは、こうした状況を完全に把握しながら、戦争を止めようとしなかった。むしろ「もっと特攻を出せよなー」という態度だった。

 このあたりの事情は、以前に猫哲学でも書いたけど、再引用しておこう。

=[ここから引用]=======================

(軍令部総長)及川古史郎大将は最近天皇と謁見したときの話をしている。三月二九日、彼が皇居の中にある門を車で通っていたときに、空襲警報のサイレンが鳴った。(一行略)数分後、金の装飾のあるついたての後ろから天皇が入ってきた。対象と彼の参謀は最敬礼をしてから、格子模様の布で覆われた会議用のテーブルを前に座った。

 陸軍元帥の軍服を着て眼鏡をかけ、やせ形四三歳の天皇は、菊水神風攻撃の計画書をぱらぱらとめくり、ときどき質問をした。及川は起立して一生懸命答えた。
「この作戦を通じて二〇〇〇機を使うのか?」かん高い天皇の声は鋭い詰問口調だった。

「さらに陸軍の一五〇〇機がございます」と大将は答え、うやうやしくお辞儀をした。

「しかし海軍はどこにいるのか? 艦艇はもういないのか?」

『戦艦大和の運命』A GLORIOIUS WAY TO DIE ;Russell Spurr著 新潮社刊(P96-97より)
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 てなわけで、ついに戦艦大和まで特攻させられちゃったのでありました。いっぺんにたくさん若者を殺せて、天ちゃんはさぞご満足なされましたでございましょうよ。ほへ。

 私は、命を捨てて特攻命令に従った人たちを、愚弄しているのではない。あの人たちのことは心から敬う。問題は、彼らにそういう命令を下した者たちのことだ。

 大西滝次郎の言葉をもういちど引用する。

「…日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実と、(中略)、五百年後、千年後の世に必ずや日本民族は再興するであろう」

 私はこのように反論する

「…日本民族が将に亡びんとする時に当たって、何の責任感もなく若者たちを戦場で死なせる命令を出し、戦後となればアメリカの奴隷として生き延びた連中を恥としないかぎり、日本はまもなく滅びるであろう」

 アメリカの奴隷国家となって荒廃しきった今の日本のありさまを見るとき、死んでいった人たちは泣いているだろうなあと思う。こんな日本を守るために死んだのではなかったはずだろうに。

 それに、彼らの行為が何の役にも立たなかった、真の犬死にだったと知らされるのは、つらいだろうなあ。けっきょく、負けるとわかっている戦争を長引かせる役に立っただけなんだもんな。

 あなたたたちががんばってくれたおかげで、日本には原爆が落とされました、なんて言うのは残酷に過ぎると私も思う。でも、事実なのだ。私はものすごく悲しい。

 あの時代、飛行機乗りというのは、知力体力反射神経すべてに優れた人たちが選りすぐられて登用されたものだった。しかも、理不尽きわまる命令に従容として従うような、モラル気力の面でも優れた人たちだった。つまり、あの時代の最も優秀な人材を集めて、端から殺していったのが特攻だったのだ。

 本物はみんな死んでしまった。クズばかりが残った。そうしていまの日本がある。嗚呼…、いや、これ以上は語るまい。

 最後にひとこと。なぜ現代になってもあのような愚行への評価が定まらないのかというと、それは「死とは何か」について、実は誰も知らないからだ。知らないからどんな風にでも美化できる。悲愴な色合いをつけて泣いてみせれば、誰も文句をいえなくなる。これが特攻への誤解の本質である。

 だから「死」については、きちんと考えておいたほうがいい。この問題については、猫哲学100号、最終回で扱う予定だす。

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 こんな話をしていたら、あの超美女はため息をついてこう言った。

「男って、いつの時代も特攻して自爆するのね」

「はあ? 今どきそんなやつがいるのか?」

「いるわよ」

「どこに向かって特攻しているんだ」

「あたしによ」

 男どもよ、こやつに特攻して自爆しても、傷ひとつつかないからやめときなさい。いわば、戦艦みたいな女なのだ。

 バコッ!

 …痛てて。殴られた。


[上の文章は、約4年前に書いたものです。]
[original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com
[mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]

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