2009年1月25日日曜日

【猫哲学2】 猫言語。

 
       猫┃哲┃学┃の┃お┃部┃屋┃μ┃


 猫は声を出さない動物である。

 突然こんなことをいうと、読者のみなさんはびっくりされるかもしれない。しかし、そうなのである。

 猫は元来は捕食動物であるから、日頃から不用意にニャーニャーやっていると、獲物に気付かれてテリトリーから逃げられてしまう。物陰からいきなり襲いかかるという彼らの得意技が、役に立たなくなるではないか。

 それでは人間の周りにいる猫がよくなくのはなぜか。あれは、人間に気付かせるためにやっているのだ。

 猫どうしのコミュニケーションなら、身振り、臭い、表情、テレパシーなどいろいろ使えるので、声などという乱暴な手段は必要がない。だが、鈍感な人間に気付いてもらうためには、「おらおら、メシだ。早くしろ」などというメッセージを、人間の道具である「声」に出してアピールするのが手っ取り早いということになる。

 私の姉が3匹の猫を飼っているが、彼らがじゃれて遊んでいるときにはまったく声を出さない。パタパタッ、パタパタッ、ドタッという音がするだけだ。目を閉じて聞いているとかなり不気味である。そういう私もかなり変だが。

 いわゆるさかりのついた猫がぎゃーぎゃーやっているのは、あのときばかりは奴らも興奮して我を忘れ、自分が声を出していることに気付いていないに違いない。そうでもなければ、あんなにはしたない声を出せるわけがないではないか。私は猫のデリカシーをとても信頼している人なのだ。うちのバカ猫は例外として。

 すべての動物に共通していえることだが、コミュニケーションのためには言語が必要である。当然、そのための言語をみんな持っている。それは身振りであったり臭いであったり、微妙な表情であったり、たまに音声言語であったりする。だが昆虫と鳥を除けば、音声言語を採用している動物は人間くらいなものではないだろうか。あ、イルカがいたな。

 人間以外の動物は一般に、ものすごく耳が良い。何キロも先の音も聞き分けてしまう。その点から考えると、音声言語を採用した人間というヤツは、かなり変なのだ。ぺちゃぺちゃおしゃりしているうちに、天敵にも、獲物にも、バレバレになってしまう。これほどお間抜けな選択はない。

 私はよく思うことがあるのだが、人間が音声言語を発達させたのは、天敵がいなくなってしまったからではないだろうか。天敵がいないからこその饒舌。それから得たものは多いが、失ったものもまた多いな。

 音声言語が優れたものであるから、人間は高等動物たりえているのだという人はたくさんいる。今の文部科学省の関係者は、全員がそう信じているだろう。だから私は、その思い込みをひっくり返してやりたい。どうせ無駄だろうけどね。

 例をあげよう。ある霊長類の研究家は、チンパンジーにどこまで言語を覚えさせることができるかを研究した。最終的にそのチンパンジーが覚えたのは、「パパ」「ママ」の2語だけだった。

 やっぱりチンパンジーは頭が悪いのだ、と思ってしまうあなたは間違えている。音声言語という人間に特有の行動を、強引に別の種にやらせようとしたって、無理があるにきまっている。そもそも喉、舌、唇等、発声の器官からして違いがある。その学者は、猫に海を泳がせようとして失敗したようなものだ。

 で、別の学者は、チンパンジーと会話するのに、手話を使ってみた。そしたらこれが大成功。チンパンくんしゃべるしゃべる。普通の日常会話などぜんぶできてしまった。ある日、博士が手話で彼に質問してみたそうだ。「うちの奥さんと助手のお姉さん、きみはどっちが美人だと思うかね」。チンパンくん答えていわく、「それって、答えたらまずいでしょう」。

 さすがチンパンジー、霊長類の中でも最も人間に近いやつ。知能が高いのだなー、などと思ったあなたは、やっぱり間違えている。どんな動物にだってこの程度の知性はあるのさ。ただ、うまく会話が成立しないので理解できないだけのことなのだ。コミュニケーションがうまくいかないことと、知性の有無とはぜんぜん別のことで、知らない・知りえないから、ないと思ってしまう人間のほうが、よほど知性が足りない。

 げんにわが家の猫は、私をいいように使って安楽に暮らしている。私と同程度かそれ以上の知性がなければ、そもそもそんなことは不可能ではないか。

 ところで、言語は進化する。人間の言語も千変万化していくが、猫の言語もより洗練されていくようだ。たとえばうちのバカ猫だが、私が本を読んでいるときは、にゃー、とないてメシを要求するのだが、いつのまにかそれが、にゃ、と短縮形になった。最近では、何となく気配を感じさせて、私が顔をあげて奴を見ると、顔だけがにゃの表情になり、音声は省略するようになってしまった。今後どこまで進化していくのか、少し心配だ。テレパシーなど使われたらどうしよう。何だかくやしいではないか。

 猫の言語認識の程度を示す例としては、こんな話もある。

 私の祖母が猫を飼っていたのだが、すずという名前だったそうで、かわいい名前だね。時は戦時中、いよいよ食べるものがなくなってしまって、祖母はすずを座布団に座らせ、こんこんと説いたそうだ。「お国はいま大変なことになっている。家にはまだ子供もいるし、おまえに食べさせてあげることができなくなってしまった。お願いだから出ていっておくれ…」。すずは、翌日から消えたそうです。

 人間というのは、自分がバカだから、動物も同程度にバカだと思い込んでいるが、どっこい奴らは高度な魂をもっている。要は、単に価値観の違いがあるだけなのだ。猫に小判というが、逆からみれば、小判なんかありがたがる人間ってアホかいなともいえる。単なる趣味の違いを、知性の違いと思って自己満足しているのが人間なのだ。

 あれ? なにを考えているんだろ。オレは人間だぞ、なんでそこまで人間の悪口を言う必要があるんだ。あ、まさか! おい、バカ猫、おまえ変なテレパシーを送っているんじゃないだろうな。

 寝てるか…。猫を飼うというのは、実はとんでもないことなのかもしれないな。気をつけなければ。

[上の文章は、約4年前に書いたものです。]
[original from 【猫哲学HP】 http://nekotetu.com/
[mail to:nekotetu@mbr.nifty.com]

0 件のコメント:

コメントを投稿